『ウィンター・ソング (PERHAPS LOVE/如果・愛 (2005)) 』メモ。

 
女優になる夢を叶えるために自分を捨てた孫納(ジョウ・シュン)を思い続ける林見東(金城武)。別離から10年後、ミュージカル映画の共演者として再会した林見東と孫納は、映画で演じる男女に自分たちを重ね合わせ始める。一方、孫納の恋人である監督の聶文(ジャッキー・チュン)は彼女の気持ちが自分から離れるのを恐れ…

 

 
結婚記念日に妻へのプレゼントとして妻が好きな陳可辛(ピーター・チャン)監督作品のソフトを、って事で選んだのは監督がアジアならではのミュージカル映画を、という事で振付師をインド映画界からファーラ・カーン!ってので俄然興味を持ったので

ウィンター・ソング [DVD]

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 早速アマゾンで購入、妻と観た作品でした。個人的にはとても面白かったけど… うん、
 

 
この日本版予告はJAROじゃなくて詐欺で訴えられるレベル(笑) 日本での公開時期的に多分、『冬のソナタ』にあやかっての東宝東和的捏造なんだろうけどさ… ってのは兎も角として。
 
この映画もまた陳可辛監督作品らしく一応は所謂恋愛映画のフォーマットとなっているけど、そこに描かれているのは恋愛そのものではなく人と人、という古典的なテーマ。今回は時代設定も曖昧にしての寓話色が強くなっているけれど、その分、テーマをシンプルに描く事になっていて、個人的にはかなり観易い印象を持ったんですよね…
 
ただまぁ、構造的にはちょっと面倒な部分もあって、人と人との交差によるドラマを「過去」「現在」「未来」を混在させて進行してゆくのは物語だけでなく登場人物も、しかもそれはマトリョーシカのような入れ子構造になってるんですよね。で、尚且つ三人の主人公は皆、過去の夢を諦めて現在の地位にいる事を自覚して日常を成功者として演じている、そんな彼らが劇中劇の役を演じる、ってので、だから劇中劇のミュージカルシーンは基本的に「”素”と”役”」ではなく「”役”と”役”」、そこに「過去」や「現在」の”素”や”地”を混じり込ませてるんですけど… お気づきでしょうか? つまり、三人共に物語での恋愛を経た結果としての「未来」が無いんですよ。一人だけ”役”の死によって心情のリセットが出来ても彼が語る未来はそれ迄忘れていた、過去の自分がやりたかった事への夢想。一人は、整理がされた事でスッキリとしたけれども、あくまでも現在を基にしたもので自分にとっての未来や夢も無いまま。そして最後の一人はその整理すらつかず映画の撮影が終わった事で去るしかない。何やかんやとあったけれども自己確認だけで終わってる、ってのは陳可辛監督作品のパターンなんですが… 、このぶっちゃけ感?観?なのに陳可辛が”恋愛映画の巨匠”とか言われるのが私には全く理解出来ませんし、彼氏の女性観だけでなく対人観っか観念のブレなさって面白いなぁ… ってトコですかね、ええ。
 
正直、期待していたミュージカルシーンはイマイチ、というのも前述したように「現在」の説明だけなんで曲と曲の歌詞にそれほど注意してなくても良いから非常に解り易いものではありますが、インド映画のように曲を通しての吐露だけでなく心情や情況の変化や伏線とか、説明以上のものであるミュージカルシーンと比べるとチョイと物足りないなぁ、ってのと、この作品の頃までの陳可辛って大画面、スクリーンでの画面作りが上手くないんで映像的にも物足りないな、っと。
 
でもまぁ、そういう変な感じってんですかね? やっぱ個人的には面白いと思うんですよ。本作なんかはそう、王子様に戻らない『美女と野獣』ビター版みたいって言えばいいんですかね、解放したって自己は自己って言うのか。アレですよ、結局クスリ使ったって自分の頭ん中にあるモンしか出ないよ、って当たり前な感じとでも言いますか、それでいて冷笑的ではない、不思議な味ってのですかね? 私には面白いと思いましたよ、っと。