天命は、知らぬ。
本日は丁度五十の誕生日。
三十の時には五十まで生きていられるとは思っていなかった。
四十の時は、五十までは何とかなりそうとは思ったものの、まさかその数年後に目に穴が開くとは思わなかった。
加齢による変化は三十に想像したのと大きくは違い無かったものの、それこそ十歳の頃から趣味としていた読書、映画鑑賞、TVゲームと離れる事になうおんが加齢ではなく眼のトラブルの所為だった為に、未だに何をというのが決められないでいて。
DVDやBlu-rayの個人輸入をしなくなったのはNetflixやAmazon Videoの便利さもあるけれど、英語字幕を読む為の集中が右目だけではもぅシンドイくなったからだけど、出来ないワケじゃぁないのがもどかしい。
フルプライスのゲームも同様で、ソシャゲのクランのリーダーをやっているのは未練なのかもしんないが、片目での集中ではアクションゲームはもぅシンド過ぎる。
映画はもっと情けないが、歳をとってトイレが近くなってきたのもあって、安心して落ち着いて観るにはもぅ家でしか出来ない。それでも劇場で観たいと思った場合は前日から水分を控え、当日は限界まで食事の水分を控え利尿作用のあるコーヒーもお茶も飲まぬようにして… てしても、不安を抱きつつの鑑賞は、心から楽しんでいるとは言えないし。
活字もシンドイ。特に片目だから読む事は出来るものの、長時間読む事で焦点距離が固定されている為、読み終えた後の視界の焦点が読んだ時間に比例してボヤけて何も出来ない。かつてのように淫するように浸る事が出来ない。
七十までは想像できないが、六十までは何とかなりそうに薄っすら思うけれども、これから更に老化する。衰えて、目の時のように身体の部位の何処かがトラブるのやもしれない。
天命は、知らぬ。それでも生かされている間は… とボンヤリ思う誕生日。
まだ、生きてます。もうちょっと、生きていけそうです。