ピーター・チャン(陳可辛)監督作品を観ていて思った事をダラダラと。

 
最初は中国文化好きの妻に連れられて劇場で観た『捜査官X (武侠 (2011))』だったと思うのだが、そこで色々と個人的には不満に思う部分はあっても妙ぅな味というかクセみたいなのが印象に残ったのと、その後妻が積極的に監督作を追いかけはじめたのもあったので色々と観てきたんですが、やっぱり妙ぅな味っかクセみたいなのが気になってきたので、そんな自分の為に後日、考える手掛かりみたいなのの為のメモ書き。本当はある程度書く事の分類をした方がいいんだろうけどまぁ、個人的なメモ、とりあえず思い付く事を並べてく、って事で…
 

  • 「観客のために大作を撮らなくてはいけないし、監督が自分の意思でテーマを選ぶのは不可能。『投名状』は僕が撮りたい内容じゃなかったけど、投資サイドや市場のニーズというプレッシャーに押されて、ああなってしまった。その結果、最終的に気分が落ち込んでしまった」と過去に言っているように、あまり大きなスケールの物語や世界観は好みじゃない、というより苦手っぽい。
    • って言うより、興味が無い?(若しくは意識を維持出来ない、し続けられない?)
    • なので、逆説的かもしれないが、ある程度自分の中で企画に対してテーマやらを設定はするけど、現場で出演者らと積極的に議論する事で変化する事が当たり前、前提とし、その変化こそが作品作りの原動力、作品そのもの、になってる気がする。
      • そしてその結果として、緻密な伏線とか複雑なプロットとか演技と演出を一本の映画で複層的に積み重ね… といった作品作りは向いてないし興味も無いし出来ない。だから何時まで経ってもちょっと散らかってる。
    • キャスティングについても同様で、ものすごく素直。そこに意味やテーマを持ち込まない。
      • ルックスと雰囲気は重視しているようだが、それよりは世間一般的なイメージを重視してる感じ。
      • 香港映画界の慣習なのか、それともプロデューサーのお父さんの影響か、会社社長でもある為か、前述したように「監督が自分の意思でテーマを選ぶのは不可能。」が常なのか知らないが、意外さとか秘められた持ち味とか配役の妙、というのは考えてないっぽい。あくまで役者から引き出させるけど、監督である自分に寄せるとか嵌め込む為ではない。

 

  • 恋愛映画を多く手掛けてきたものの、恋愛そのものにはほぼ興味が無いっぽい。
    • 普通の恋愛映画ではほぼ必須の【お互いが相手に対して思慕なり恋をし、自覚するまでのエピソード】が無いのは特徴的。
    • 加えて恋愛進行時の多幸感や高揚感も、ほぼ描いてない。
    • 恋愛の物語としてのステップとしての障害やすれ違いやらも無い。だから達成感も到達感も無い。
    • んで、恋愛を経ての双方の関係性なりへの回答なり変化なり成長も、無い。
      • ある意味、盛ってるだけと言えなくもない。だから結果が、各々の変化はあっても、男と女、双方の高め合いとかにならないってのはまぁ概ねその通りだけどと思うけど、だからこそ彼が恋愛映画の名手だの巨匠だのと評価されてるっぽいののは個人的に凄く違和感があるんですけどね…

 

  • ヒロインはワンパターン。女性は逞しい、強いもの、という思い込みがある。
    • 但しそれはマザコンとかではなく、男と相対して女性は… 、って感じで、ある意味では男性蔑視、とまでは言わないが”おとこというのはおろかしいものなのです”って感じに近いのかも。
    • チャン・イーモゥらのようなペド趣味でもない。お気に入りのシュチュも無い。

 

  • 多分、作品に自己を反映させても主人公に投影したり、代理させたり代弁させていない。
    • これは出演者やスタッフらとの議論によって作品を構築してゆくからなのかもしれないが、監督自身によるテーマなりメッセージを主人公に出させる事を意図的に避けてるフシも感じなくもない。
      • 理念とかじゃなく、生来的な性分、照れ、のような気もするのだが…
    • 故にどの主人公も、お話的な共感や同情を以ての感情移入がし辛い、極端に言えば性格なり社会的な破綻者となってるのは結果として、なんだろう。
      • だから脇役の方が人間味があったり、情を抱かせるようなエピソードや行動をする。が、その分、類型的になってたりもする。

 

  • 特に意味や説明や比喩暗喩ではない食事シーンが何故かある。不思議!
    • 心理描写や心情説明だけでなく、スリリングな駆け引き等、食事シーンには有名なモノが多いのですが、どの作品に入れておきながらも『捜査管X』以外はどれもボンヤリと、特に必然性を感じらないものばかり、というのも珍しいような。
    • そしてあまり美味しそうじゃないのも特徴かも。色味がすごく、地味。宮崎アニメで食べるシーンでの怨念じみたものと比べると非常に対照的というか、真逆と言うか…

 

  • 2007年の『投名状 (ウォーロード/男たちの誓い)』以前、以降では画面作りに「スクリーンの大きさ」の意識が違っている。
    • それ以前はカメラをあまり大きく動かさず、人物には基本寄って… ってのだったが、この作品以降は結構画作りに幅が出来た。
    • 映像作りと比べると音楽の使い方はあんまり変わってない。基本、ベタ。
      • 個人的な推測ですが、彼氏の過去作品で、映画をTVで観てるシーンはあっても劇場で観てるシーンって無いんですよ。多分、彼の生活に於いての映像の基本フォーマットって20型のブラウン管TVだったんじゃないかなぁ?と思っているんですが、そう思うとこの以降の作品の画作りの幅広さは凄いなぁ… と思ったりもして。なかなか人間、自分の育って得てきたモノから離れるのは難しいもんですし…