『サマーウォーズ (2008)』雑感。

 
録画したものを見るも夫婦揃って細田守監督作品はよく作ってあると思うものの、その思想やメッセージに対して生理的な嫌悪感を感じる、という結果に。そもそも大火傷を負った時に「こんな醜い化け物になってしまった」という事で遠縁の親戚には死んだ事にし、近隣の親戚も含めて人前に出るな、出るならわたしらとは無関係でいろ、って扱いを受けて来た私と比べ、妻はごく普通の御家庭で育ったんだがなぁ… ってのは兎も角として、どうにもこぅ、家族ってのに対する肯定さ加減が。それでいいのか、そんなんでいいのか、とか。
 
所詮TVで放映されてるカット版だけど、凄く類型的っか記号的ですらある一族ら登場人物が物語上では血縁による社会的地位と人間的な能力が優れてるって2つのチートやって進行していくのに説得力無いもの。物語がお約束でも別にいいの! それが陳腐に思えるのはお約束が悪いんじゃなくて、陳腐に思われるような使い方してる方が悪いんだって! その最たるのがクライマックスで、2つのチートに更にコンピューターのチートまで加えてんだから緊迫感もへったくれもねぇって… お話しとしての組み立て方が演繹法でも帰納法でもなく、行き当たりばったりの積み重ねだからカタルシスも無いし… うん、そもそもカタルシスになる筈の本作のストレスがラブマシーンじゃなくてまさに”家族”で、しかもそれが意味も理由も無くただ肯定的で善きものとしてあったのは私にとっては納得も共感も出来ないと言うか。
 
映像的にも基本、平面だし。劇場の画面でなら栄えるであろう物量こそ感心はしたけどアニメーションとしてのデザインや動きが非常に単調、未整理、適当、説明不足っかしてない、ってのでもね… としか、私には思えませんでしたわ…
 
うん、繰り返しになるけど、やっぱり凄く単純なんだけど、伝えたいメッセージが何であれ、問題と情況と物語の解決をさんざ嘘を積み重ねた揚句にチートで全部解決、ってのは、やっぱ私の性分に合わない。”お約束”は、それだけ便利であるからこそ多用されているだけであって”お約束”が悪い訳ではない。それがご都合主義だテンプレだと揶揄されるのは使い方が下手糞か、間違っているかのどちらかでしかない。『サマーウォーズ』の場合は、単に下手糞だった… 物語の進行への障害、トラブルが為にする障害でありトラブルであり、それを障害、トラブルたらしめていたのは製作者側の作り上げた物語の粗雑さと嘘の破綻でしょう… し、間違っていた…家族家族と言う割に登場人物の薄っぺらさったら…、というだけの話なんじゃぁないかなぁ… で、嘘と投げっ放しをチートでごり押し越えてひと夏の青春!って言われても、ね… この物語がそういう形になったのって結局細田監督が観客を全く信用していないからそうなったのであろう事を思うと… じゃなきゃ人物をあんなに薄っぺらくしてまで尚台詞での説明を特盛りにしないでしょうに… なのに、観客からの評価を求めてる、ってのはちょっと、ね… 究極的には「俺のやりたい事はこれなんだよ! 理解されようがされまいが知るか!」ではない人の言い訳の羅列にしか見えないし、だからこそアニメーションでなければならない理由も意味も感じれないんですよね、私には。
 
別に共感や賛同したがりでもないし、現実世界のウサ晴らしのカタルシスを求めて劇場に行くワケじゃなし。例え自分とは相容れなくとも、その表現や、やろうとした事への意志を感じれるのならば。ご意見無用の個人的な自主制作ならば。でも、そうじゃぁない。まして、作り手がテーマをも信用していないものでは、ね… って事で、次週以降、まぁパスですかね、っと。