らくごくら#57「第3回 東西噺の華咲き競う 染丸・権太楼二人会」(前編)

USA-P2009-01-18

 

  • 柳家右太楼「普段の袴」
  • 柳家権太楼「芝浜」

 当日の進行をあえて崩して前編を上方・後編を江戸ってした構成は見易さの為ではないかと。まぁせっかくの上方江戸上方江戸って流れで観たい気もしなくもなくもないんですが… ってのはさておき。
 
 右太楼さん、調べてみると岐阜出身で年に何度か地元のお寺での勉強会をやられてもいるんでちょいと期待をしましたが… まだ二つ目さん、これからって人ですし。マクラでの軽さは好ましく思いましたが噺の方がもひとつ、一本調子げだったのも込みでこれから頑張って欲しいものです。
 
 そして権太楼師の「芝浜」だったんですが…
個人的にこの噺ってのは嫌いでして、何処が嫌いか?ってぇと夫婦のお涙頂戴物語に加えての説教臭さ… 働きに追いつく貧乏無し、とかね… でしたが、師の「芝浜」は他の噺家さんのと比べると異質と言いますか… お話としての理を立てる為の、ってよりはマクラにもありましたが権太楼師にとっての風景への思い入れの為のって気がしたんですけども。
 一番異なる印象の部分はサゲで、多くの噺家さんの場合は飲まないという意思と結果でのものなのに対して師のは飲む前の照れに対する一言のようなんですよね。そう思ったくらいにおかみさんの語りがかなり長めになっていてその分お酒をすすめる場面もちょっと執拗げになっているんですがそれを皮肉として考えれば
「そうやってまた元の木阿弥にまっさかさま」
ってのを予兆しているようにも見えなくもないんですが…
 
 私がそう思ったのが酒を断って真っ当になって三年もの間みっしりと働き詰めての結果が「大晦日に新しい畳に替えた」「掛取りは来ない」「掛取りに行かなければならない程ではない」という程度で、多くの人の版ではもぅちょっと裕福になってる場合が少なくないのと比べると一生懸命、仕事以外の楽しみも無く骨身を惜しまず朝から晩までの働きをしての結果ってのにしては、いくらそれまでの借金があったにせよちょっと結果が解せないんですよね。
 そして男の名前を江戸落語で魚屋ったら勝五郎が相場だし多くの噺家さんもそうしているのに対してわざわざ熊としているのはこの噺を、決して賢くなく貧しい男と女の寄り添う物語ってする為だからなのかなぁ? と思うんですけどね。でないと、これまた一般的な「芝浜」ではある奥さんが飯台や包丁や草鞋を用意してるって件が全く無かったり、目はある程度利くようではあるけれども腕そのものを誉められる場面が無かったり、と随分とデティールが違うと言うか変えてあるんですよね。それだけ気が利いて腕もあったら裏長屋に住んでいるワケが無いとでもしているのか、逆に裏長屋で魚屋で生計を立てているのならばそれくらいなんじゃぁないのかとしているのかは分かりかねますがあえて師匠がカットした意図というのはよくありがちな夫婦のお涙頂戴物語でのハッピーエンドの為、とは私にはちょっと思えないんですよね… 理屈として、解釈としてアリなんですがやっぱりこぅ寂しいと言いますか… 淋しいと言うのならば立川談志の吐いた嘘ですれ違い壊れてしまった夫婦の物語としての「芝浜」の方が私には好みでした、ってだけの事で
しかありませんけれども。
 
 しかしこうやってお馴染みの噺を自分の納得いくようにと改編する作業もまた落語なのかもしれません。ただ伝承という点で言えばこれは権太楼師だけのものですんでどうかとは思う自分もいますがそういう点で面白く思いましたね… 好き嫌い、じゃぁなくて。そういう楽しみを与えてくれるこの番組はやっぱ好きですわ。