『らくごくら』#44、#45 「そごう寄席〜三喬・たい平二人会@大阪心斎橋そごう劇場」(前編)(後編)

 

 

 旅行をしていた間に放送された前編と通しで観たんですが… 前編の二席に比べると後編が私的にはもひとつ。
 
 長いマクラからのたい平師の「お見立て」、正直言って器用だし真面目な師匠とは思うんですけどもまだまだ神経質さが先に立つ印象があったんですが所々のクスグリ… まさかあの歌を使うとわ!(笑)… もさる事ながらいい具合に客席への神経が行き渡った感じが好印象でございましたな。登場人物の三人がそれぞれ等しく食えない、ってのをあまり押し出さないでの我侭の言い合い程度にしたのはたい平師の好み、なんでしょうなぁ… 私としては五街道雲助師匠の皆悪どいってのも嫌いじゃぁないんですがこの演出っか解釈はたい平師ならではのニンに合っていて楽しかったですよ。
 続いての三喬師、ゆっくりとしたマクラで客席を整えてみせる手法のさりげなさから入る噺のおかしい事。お得意の可愛い盗人とのトボけたやりとりの安定感といい、それでいて細かく入るクスグリが油断ならないならない(笑)これは後編も期待出来るとTVの前に正座したのですが…
 
 後編の最初は三喬師からだったんですが、何と言うか… こういう事も出来ますよ、っとスルっと流れる感じでたっぷりとした前編と比べるとこのアッサリした感じはちょっと食い足りないんですよね… これが当日の落語会ならばトリに向けての、ってトコなんでしょうがこれがTVの難しいトコなんでしょうかね… ではそのトリはどうなるのか?っと思っての「幾代餅」、多分たい平師の解釈としては「真面目で一生懸命やっているから皆に援けられる」という人情噺、なんでしょうし花魁をあえて小娘のようにしたもの解り易くする為のものであろう、というのは解るんですが清蔵に情念っか思い入れをあまり抱かせない感じに仕上がっているんで「運のいい男の話」になっちゃってるのがあんまり好みではないと申しますか… ちゃんと理屈は通るように細かい配慮はあって、例えば藪井先生に
「いいかい? 行ったところで会えないかもしれないよ?」
「その時は… そういう運命と諦めます。」
「仮に会えたとしてもつぃっと顔を見るだけかもしれないんだよ? それでもいいのかい?」
「 … はい。」
 っという下りとかはちゃんとあるんですが、そこまでの清蔵の思い入れや情念の描写が殆ど無いんでどうも肩入れ出来ないんですよね… って事でこれまた去年放送された談春の「紺屋高尾」を観たんですけどコチラは結構言い間違いやら何やらあるんですけど久蔵の念… いやしかし、あれは談春の師匠への情念のような(笑)… をしっかり入れてある上に、ってので私的にはこちらの方が好みでしたなぁ… たい平師の出来が悪いってんじゃぁねぇんですよ。ただ、私の好みで… って事で。