「携帯雑記。」

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 この頃はインターネットだ携帯だと人と人との距離を無くし誰しも手軽に情報や人とのアクセス、
関わりが出来る便利な時代となりまして私なぞも随分と重宝をしているものですが、いかに接続
回線がADSLだ光だと大容量のデータ通信が可能になろうともそれらはあくまでもデータの為の通路、
手段でしかありません。結局入力機器を操作するのも出力端末に向かうのも人間であって、多少の
運不運はあれどもそこに展開されるものは突き詰めれば生身でのものとあまり変わりない、自分で
選んでやってきた、己の生きてきた道の上での結果でしかない… そこにただ一喜一憂するという
のは滑稽なものがございますな。所詮、「結果」に過ぎないワケですから。
 
 携帯以前、インターネットと言うよりもパソコン通信の方が一般的だった頃に、そういう人の
滑稽さをしてデジタルナルシスと言った人もおられましたがそれから十年、町を歩いておりますと
何かというと携帯に向かってる人は珍しくなくなりましたなぁ… 私にはアレ、童話であったや
ないですか、橋の下の水に映る自分の姿に吠えて、咥えていた肉を落っことす犬の話、アレを連想
してしまいますな。
 
 もぅ誰かと何かと繋がってるというのを確認しないと不安になったり落ち着かない、というもの
なのかもしれませんし、まぁ人それぞれではあるんでしょうが道具は所詮道具、自分の『世界』
を拡げるのにこんなに便利な機械は無いのにあえて自縄自縛の一人SMみたいになってる情況に陥る
のにも使えるくらいに便利な機械、というのは随分と皮肉な気がしますなぁ…
っとボンヤリと思う日曜日の夜。
 
 
 
(確かに凄く便利ですわ携帯って… 実際、この前の東京旅行では本当に役に立ちましたし、その
便利さは自分が所持する事で実感したものですが、便利であるが故の不便さも購入前に想像しては
いましたがやっぱりあるもんですなぁ… まぁ私はオヤジですからその不便さも何とかなりますが、
無闇に多機能で便利だからこそ閉塞するってのもなんか贅沢っか妙な話だと思うんですけど、ね…)