各務原市文化ホール 『江戸前かかみの寄席』

 

 

 岐阜に、文化の乏しいこの岐阜に、立川談春柳家喬太郎が来る! っと知った時には本当に驚いたものの既に発売からかなりの時間が経過していたんで慌ててチケットぴあに走ってみたらば係員の人に
「あ、全然余裕ですよ。」
 と言われて実際前から7列目、「き」列のほぼセンターがアッサリ二枚取れて… 「き」は「喬太郎」の「き」!っと喜びつつもしかしもしこのメンツが、雷門幸福は兎も角として談春師と喬太郎師が出る落語会があったら即効で売り切れているであろう事を思うと複雑な気持ちで… 大体、幸福の出身地だから開かれるであろうこの会に談春師が出るのはまぁ解らなくもないのだが喬太郎師って? 確かに立川流は元は柳家だからその筋かなぁ? にしても前座のこはるさんまで載せるトコといい本当にこのメンツが揃うのか? いざ行ってみたら天狗連の偽者が出て来るんじゃねぇの? 昔、興行で「美空ひばり」ではなく「美空ひはり」とかみたいなのじゃねぇの? って気分のままに一ヵ月半、そんな疑心暗鬼の私に合わせたかのような曇天の元に辿り着いた各務原市蘇原駅
 

 
 電車でのワンマンも初めてなら無人駅も初めて、というのに戸惑いつつも会場までの約2キロを歩く道程に人影も無く更に澱む気持ちに降りかかる雨粒。とりあえず会場の近くまで行っての腹ごしらえ&休憩&時間潰しにと入った喫茶店はオシャレなんだけどウェイトレスはそっくりかえった腐れマ(自粛)の開き盲な上に出てきたメンチカツカレーやデザートのワッフルは表の看板や店内のメニューの写真と全然違って高いわ不味いわで濡れ犬気分は更に増大、雨の勢いもそのままに不安と猜疑心だらけで会場に行ったものですが… まぁ今振り返って思うと「辻占茶屋」だったなぁ… っと。いや喬太郎師匠と談春師匠は良かったですよ。こはるさんもちゃんと高座を勉めてました。が… って事で、以下は私の駄文な上に長文の感想なんでお時間のある人だけ
 
 こはるさんの「真田小僧」は前半まで。口調はいいんだけども相変わらずの可愛げと愛嬌の無さのせいかどうも金ちゃんがなぁ… ここからの伸び代という点で、今の道のままと考えるとちょっと微妙かなぁ… とは思うものの、聴いていて嫌な気持ちにならない、って高座姿勢と気持ちの向き様はやっぱりいいなぁ… っという高座に会場も拍手で包まれて。
  
 鼎談は談春師の仕切りでフォローを喬太郎師、という形で地元の有名芸能人である筈の幸福は特に何という事もせず。っか両師匠にも言われていたけど本当に客を見てなくて受け答えの間合いもグズグズで緊張してたのかなぁ?っとまだこの時はそう思っていたもんですが… 結局先輩二人に立ててもらってるのに立てないままに終了。特にこれという面白話にもならず振られた数々のネタは展開も転がる事もならず… ならいらねぇじゃん、談春師と喬太郎師だけだったらなぁ… あまりのグズグズっぷりに談春師、
「手前ぇ、(喬太郎師と)二人でガっチガチにやってやろか。喬太郎さんが「文七元結」で俺が「芝浜」って二席にしてやろうか!」
 とのお言葉に会場の落語ファンからは大拍手、しかし
「本気にしないように(苦笑)。」
 って一言にまたも「え〜」との会場のブーイングが全てを現していたんではないかと。で、
「いや、この二人のその二席が観たいなら家(うち)に呼べ(笑)」
 ってのには思わず「いくらで!?」と言いたくなったもんですが…
 
 で、今回一番の目的であった生喬太郎師、やはり上手かったですね。
会場の把握と割り切りの仕方、それでいて手を抜くでもなくと言ってやり過ぎもせず、寄席の客ネタからのマクラからスルリと入る「ちりとてちん」はオーソドックスなものかと思いきや細部でのクスグリの細かくて。個人的には南光師の型で観る機会の多い噺なだけに「酢豆腐」の方でも… っと思ったものですが、まぁそこはそれ。クドくなくサッパリとした一席でございました。いやぁやっぱり喬太郎師もいいわ… っと幸せな気持ちになれたものでした。
 
 仲入り明けに幸福の後援会長でもあるらしい市長の挨拶、まぁ仕方ないとは思いつつも会場の係員の横柄さっか高圧的な態度と相まってまぁ他所からここに来た客の事はどうでもいい会なんだなぁ… っと。そういえば会場の席にしても前列中央が予約席で両サイドは企業と後援者の招待席だったか。わざわざ自由席ペア券ってのを売っていながらも
「隣同士で座れないかもしれませんが御了承下さい」
 って何様?な場内アナウンスといい、まぁ客なんてどうでもいい、市としての実績と地元出身の地方有名芸能人の為であって文化とか芸能とかはまぁ二の次なんだろうなぁ… 御津町ん時とは真逆だよなぁ… って後の幸福でしたが、私の好み以前、芸人としても人間としても失礼で不愉快な人間でありました。
 どう逆立ちしようと敵いっこない先輩でしょうがこれから幸福を育て応援しようというこの会の趣旨を酌んで下さった先輩の胸を借りるのでもなく一寸の意地を見せるのでもなく、そのくせ得意とも見えないし上手くもなく情熱も思い入れも何も感じられないただマイナーな「唖の釣り」という季節感も特に関係のない噺をつららっとやられたらね… 市長の挨拶があってもまだ喬太郎師の時から上がったままだった会場の空気の温度も一気に沈みましたな。そりゃぁ円丈師も今年の大須演芸場での円丈独演会から外すわ。ズリセンぶっこいてるだけだもん。それがどれだけイキってようがズリセンは所詮ズリセンでしかないじゃん? まして、わざわざ自分の弟子に前座もいるのに出してやってズリセンぶっこかれたら堪ったもんじゃねぇよな… だけどあれはズリセンですらない。もぅ保身丸出し。自分で東京や大阪という場所から逃げた、と自分でも言ってるくらい*1だからある程度その性根の腐れ具合は見えていたとも言えるけれどもしかしさぁ… 会場の満席の客が自分のファンばかりではないという状況であっても、そこで何故、今日初めて自分を見るという客を掴もうと、次の会に、それこそいつか大須演芸場にまで引っ張っていってやろうという意地や意気くらいねぇのか? 今の自分が出来る事を精一杯、ってのでもなく、ただ後援者っか旦那、贔屓筋に落語をやってる様を見せれば良しとでも言いたげな落語をしているという体裁だけしかない気の薄いボンヤリしたものには眠気があったものの本気で寝るのは流石に失礼だから我慢はしたもののそうなると余計に腹が立ちましてなぁ… まして自分の為の会で? 何様だあのデコ助。人様の会で、だけど染二師の独演会で観た桂しん吉さんや笑福亭たまさんはちゃんと気ぃ張ってキッチリ自分を見せていたし得られた一席という場所でちゃんと客を掴んで後で師匠がしくじろうものならお客をお持ち帰りするよ?ってくらいのその姿勢の素晴らしさ、素敵さ、かっこよさと比べるのも失礼。っか心構えも芸も比べる以前。話にならない。大体、彼等と入門時期がほぼ一緒でしかも彼等の方が年下なのに何をやってんのか。三十半ばって歳なら同い年の真打で古今亭菊之丞師がいるがその師はこの五月の下席は鈴本演芸場の夜の部主任ですわな。格が違うってのはこういう事か。まだ真打ではない、ってのにしたってこれまた同い年の三遊亭きん歌さんにも遠く遠く遠く及ばず、後に入門した更に年下の春風亭一之輔さんのような品も風格も雰囲気も落ち着きも無く… 流石、過当競争から逃げただけはありますわな。敵いっこないもの。まして一年も再試験期間を与えてもらっても不合格だったのも仕方ないわ。自分の事しかねぇもん。客、観てないもん。相手見てない芸なんてただ一人言を喋ってるに過ぎないけど、金を払って見るもんじゃねぇのは他のお客さんも同様で、前座のこはるさんより笑いも拍手も少なかったのがよく現してら… 贅沢言ってるとは自分でも思うけれども、談春師がトリをとるのだからしくじるんなら真っ向、返り討ちになろうともって気はねぇのかと。かぶりつきで何やってんの。いいじゃねぇか盛大にコケて血達磨になったって死ぬワケじゃないんだから。でも、地元で芸惜しみする程の御身分なんだ。おまけに談春師がわざわざチョイと早めに噺を切り上げてくれて挨拶する時間を作ってくれて、下がる緞帳を止めさせてお客を呼びとめ一度ならず二度も袖に声をかけてるのに出てこないなんていい態度ですよな… ホント、談春師じゃぁありませんが
「アイツ、馬鹿だ。」
 ですよ。
それでも東海ラジオだかで番組が持てると。それでも営業で使ってくれると。地元の人にとっての名士、有名芸能人かもしれんけどふざけるんじゃねぇよ。東京に行って談志の弟子になってた事だけで食えるなんてやっぱ田舎なんだよな。だけどいい顔していたくて落語ってこういうもんだと思わせておきたいんだったら本物の落語家の立川こはるさんも柳家喬太郎師も立川談春師も呼ばなければいいじゃないか。天狗連の連中並べてデカイ顔でもしてりゃぁいいじゃん。この後の大須演芸場での手前ぇの一門の福三の二つ目昇進披露会の方が、今この会場に来た客よりも大事なんだろうかね。そうだよね、大須芸人ならそうかもしれんよね。わざわざ来てくれた大先輩の喬太郎師や談春師も、もぅ自分は東京の落語界とは関係無いから知った事じゃねぇのか。会の主催者側の尊大さを喬太郎師も談春師も鼎談やマクラでチクリと皮肉ってはいたけれど、それでも雷門幸福という落語家を育ててやりたいという会の趣旨を酌んであげて
「今日この会に来て下さった方は五回は付き合ってやってください」
 と最早立川流でもなくまして自分の弟子でもないのに言ってくれた談春師の思いも気持ちもどうでもいいんだと。指定席入場口で待たされてる時に、東京や大阪からわざわざ来たお客さんがいて改めて喬太郎師と談春師の人気の凄さに感じたものだ*2が、そういう他所からチケット代も足代も払って身銭を切って時間を割いてここに来た客もどうでもいいんだと。格好つけてたいのなら、地元の小山でチヤホヤされていたいのならそうしててくれねぇかなぁ? これが仲間内やお友達だけでの飯事遊びの会に私らの方から頭下げて混ぜさせていただいたんならこんな文句はねぇよ。そうじゃねぇ会だったからこそ腹が立つんだよ… 
 
 っと、煮えていた気分を談春師が全部助けてくれましたわ。
と言うか、談春師も怒ってたんじゃぁないんでしょうか。幸福がもっと頑張っていたのだったらまた違っていたのやもしれませんが、これがもぅ緊張感に満ちたいい高座でして… そういう点では幸福に感謝しなければならないのかもしれませんが、先にも書いたように幸福の為にと終演予定より5分早めに切り上げられたもんで本当に本当に本当に悔しい悔しい悔しい悔しい。例えて言うなら目の前に近江だか神戸牛の特上A5、BMS10クラスを出されて丁寧にタップリと切ってもらって絶妙ぅな火加減でレアに焼かれてその音と匂いとに唾だらけで胃袋鳴りまくりになったトコロで引っ込められちゃったもんでそりゃぁねぇよと。それくらいにみっしりとしつつもクドさを感じさせない、またこれまで聴いていた「寝床」での細かな疑問点が綺麗に解消された旦那様の人物設定といいあのままサゲまでイカれたら昇天ものだっただけにねぇ… だから終演後の幸福の大人物っぷりと出口に貼り出されてた
 

 
 が余計に恨めしさと怒りと悔しさを募らせたですよ。
 
 そして思ったんですが、御津町での独演会は本当に良かったなと。確かに至らない部分はあっても主催者側の気持ちと思いに満ちていて、会場に来ていたお客さんも本当に落語というのを楽しみにしていた暖かくて優しい空気だったからこその、あの日の談春師の高座はとても素敵なものでありました。で、それと比べてですね、まぁ今後この会が継続されるとしても、余程の事っか噺家さんが出ない限りは金貰っても行くのは嫌ですね。まして大須演芸場なんて冗談じゃぁない。論外。来てくれなきゃ今ここでお前の目の前で腹かっさばいで死ぬって関係者らに言われても嫌。鼎談の時に
「次は三年後かな?」
「まぁ俺は5年後か」
 と喬太郎師も談春師も冗談っぽく言ってましたが冗談じゃなくなるでしょ、あんなんじゃぁ。会としていくら継続していこうがどうぞご勝手に、って感じですわ。わざわざ「江戸前」ってつけた体裁や出演者での箔はついたし今回は談春師の御蔭で何とかなったもののだから何? 毎回そうやってフォローし立ててくれるような、そんないい人ばかりでもあるまいし。地元の招待客の分を上乗せしてんじゃね? ってくらいの、東京や大阪での落語会、独演会並の値段を払って手を抜かれた芸を見る気になるかね? ならないかもしんないよね、でも、スタッフも雷門幸福もあんなんじゃぁねぇ… ホント、喬太郎師の「文七元結」と談春師の「芝浜」で完膚なきまでに叩き潰してくれりゃぁ良かったのに。まぁ会場の笑いと拍手で既に結果は出ていますが、両師匠の人としての素晴らしさ、そして本物の落語家がどういうものであるのかがよく良く解った会でしたわ。
 

*1:オフィシャルHPの「コラム」参照。

*2:そう言えば堀井憲一郎氏によく似た方をお見受けしたのだが… さて?