NHK教育 日本の話芸『子は鎹・桂ざこば』

 
 TVタレントとして桂朝丸時代から知っている方ではあるが、「どもり」「噛み」「忘れ」等々落語家としてはマイナスな要素がある方 でもあるしさて? と思っていたのですが、こちらがタレント「桂ざこば」に慣れているからというだけでなくプロという事について考えさせられた良い一席でございました。
 
 スッと入る間のとり方や所作が良かったのもあるんですが、当人の人柄から乖離しない語り口は確かにつっかえたりどもったり噛んだりしてもあまり苦にならんのですよ。「玄翁」を「金槌」とした言葉の言い換えや状況や風景のデティールの変更は好みの分れるトコかとは思うんですよ。米朝師匠はわざと昔の言葉使いや文化風俗を遺すようにしているのと比べると聴き易くはあるものの… と思わないでもないんですけども語るざこば師匠に合っているんですもの。プロとしてそれは凄く重要だと思うんですよね。
 
 逆に言えばつっかえずどもらず噛まずにただの一言一句間違えず流暢に話されてもそれが落語としていい物かどうか? っとなると必ずしもそうではないじゃぁないですか。ただ聴くだけならばそれもアリなんでしょうけども流暢なだけなら朗読とどう違うのか。高座を観るという場合になると?とか。
 勿論、瑕疵は瑕疵、ミスはミス、未熟は未熟でしかないように、それを個性だ何だと誤魔化し居直るような人は私とて好きではありませんがしかしそれも全部背負ってのプロであるのならばどうこうと言う必要は無く「好きじゃぁない」と関わらなければいいだけの話ですしな。まぁ難しい話になってもアレなんでここまでにしますけれども、ざこば師匠の落語は聴いていて厭になんない不思議な味わいのもの、でしたワ。