朝染二 〜プレ独演会・染二誕生日公演〜

 
 三代目林家染二師を初めて観たのはsky-Aの『らくごくら』で、だったんですが、最初は
「何とまぁ賑やかなお方… 」
 っと思っていたのが次第にそのパワフルな演出が非常によく計算された上でのものであるような気がしてきて、ひょっとしてこれは凄い人じゃないか? と思うようになってきて、気がついたらスッカリ引き込まれていましてな。ただ単に賑やかなだけな人はいくらでもいるんですが、その人らとは違って明らかにトーンのつけ方だけでなく演じる時のフレーミングも変えてあってズームでのバストアップ一本槍ってんじゃないんですよ。時に寄り、時に引き、そしてパンしてみせる舞台的な要素が確かにあるように見える。その舞台的なものも落語というフォーマットに馴染ませてはいるものの歌舞伎だけでなく一般の舞台演劇的なもののようで、しかも時に映画的でもあり… に思えて、そういう目で見てみるとより面白くて。昔は新作もやられていたようですが最近は古典中心、ってのも含めて
「あの賑やかさってのは辻咄、大道芸であった上方落語の原点をも考えての演出ではないのか?」
 と考えると割合と自分の中で腑に落ちるんですよな。で、
「だから幾つになっても出来る噺よりも今の自分がその時に出来る全力をもってやれる噺を、って事ではないのか?」
 とか勝手に思ったりしましてな… ここんトコ、そういう意識があるとはとても思えない噺家さんを何人か観るのもあって、余計にその高座、一席に望む染二師匠の姿が特別な人達のうちの一人に見えるんですよ。
 と言って、何よりもまず自分の勉強や修練をひけらかして喜ぶというタイプでもなさげで、噺の人物の解釈の仕方といい高座でのお姿の綺麗さといいこれは凄く自分好みの噺家さんのタイプではないのか… これはいつか、是非生で観てみたいものだが… っと心に決めていたんですが、悲しいかな岐阜という田舎から関西へ行くというのはナカナカに手間も時間も金もかかる上に色々とコチラの都合なりとの折り合いが悪くジリジリとしていたもんですが、やっとこさタイミングを合わせて行ってまいりましたよ繁昌亭での独演会に!
 
 全席自由席って事で開場一時間前に並んだら繁昌亭の人に物凄く嫌な顔をされましたが指定席じゃないしなぁ… どうせ聴くならベストの位置で聴きたいしなぁ… っと40分程待ってる間に結構な行列となって、整理券も貰えたので安心しての時間潰しをしてさて… っと開場を告げる太鼓を叩くのに現れたのが笑福亭たま師でビックリ!だって今日の昼席、夜席にも出演するお方じゃないんですよ。繁昌亭等の常連さん達も驚いてられましたが、もぅなんかそれで気分も上がってきますわな。前から4列目のど真ん中、丁度フラットに演者の人が観られる場所での観賞となって更に気分も上がってるのがやがて満員の客席、それも老若男女の様々な層のお客さんらに更に上がっての開演、現れた染二師匠にこぅグッときましてな… っと始まるのが
 
・「いらち俥」
 前半のボケた車夫がとんでもなく惚けた爺、ってのがもぅ大笑い。そちらをじっくりやられてからの韋駄天っかそそっかしい車夫の方の途中まで、ってのが落とされてから残念に思うものの観てる間は全く気にならないというのが何とも不思議な感じ。割合と感情移入しつつもどこか冷めて観察する性分な私なんですが、染二さんの高座の場合はどうもそうならない。何でかなぁ… と疑問に思ったのですが。
 
・「鷺とり」 桂しん吉
 学校の縁、という事での林家門下からではなく米朝一門からのしん吉師、『らくごくら』で「初天神」を観た事があるんですけども、冷静に考えたら有り得ない馬鹿話を明るくカラッとした語り口としっかりした所作で楽しく聴かせて笑わせてもらって。
 
・「富久」
「いらち俥」とは違ってしっとりとした人情噺系だが、酒に飲まれてしまうが故の悲哀の部分では満場の、様々な年齢層のお客が皆しん、っと見入ってしまう。染二師匠の芸に小屋全体が包まれる凄さ。これまた終わってから以前誰かので聴いたものとも文献に載っている粗筋とも微妙ぅに違う部分や、好みで言えばもぅ少し幇間が強がりも含めての陽気さの場面がもぅ少しあると折角籤に当たったのに… という部分がより立つような気もするんですがそこはクドくなるやもしれんし染二師匠の好みでもあろうしなぁ… っと思うんですが、聴いている間はそういう事を全く考えられないんですよ。
 
 で、中入になって、これまでの体験を考えてみますと…
染二師匠の落語について「ハイテンション」と評される記事が多く、その文脈としては演者の声の大きさや賑やかさを指してのものでそれはそれで間違いでは無いんですが、私が思うに文字通り「HIGH TENSION(緊張感が高い状態)」ってのもあるんじゃなかろか? っと。
 別に他の落語家さん達が全員が全員ナメて気ぃ抜いてダラダラやってはる、ってワケじゃぁないんですが、どうも「噺は素材、材料で落語家としてやっている自分を見せる事が落語」って事に意識が向き過ぎてる人達のやってる事と染二師匠のやっておられる事は全く違う、ってのが言いたいんですわ。ただウケる為それだけという人もいてもいいけれど、じゃぁそれこそが落語なのか?ったらまた違うと思うし。と言って、先人からの口伝そのままの伝承というのは伝統芸能としては正しいんだけど大衆芸能でもある落語で全く客を無視してってのも… とか、落語家さん一人一人それぞれに思う所や考える所があってのそれぞれの中で、己の演じる部分と伝承すべき物、そして噺のテーマっか軸ナドナドと、お客に伝えるべき事、それぞれをひっくるめての『業』って部分に染二師匠も物凄く真剣で細部にまで緊張感を持っていて尚それを客に強要しない、でも、客に阿ってもいない、そういう姿勢が自分は好きなんだろうし、そういう厳しさをもって語られる染二師匠の噺が好きなんだろうなぁ… っと考える間に中入が終わっての
 
・「蛸芝居」
 芝居噺は好きなんですがあまり歌舞伎を観ていない… 殆ど成田屋ばっかり(笑)… って私でも笑った笑った。一つ一つの所作は綺麗な上に迫力もあるんだけどやってる事や節回しや台詞のバカバカしさったら! 可笑しいんだけど染二師匠の気ぃの張りがビンビンきて集中してた分だけ終わったらもぅ満腹(笑)、頭がジーンときてました。そんだけのものでもありながらも後にはサッパリと、カラッとしてるんですもんな… 堪りませんわ。
 終演後、真後ろの席で御両親に連れられて来た小学生高学年と思しき男の子がいたんですが
「ちょっと●●君には難しかったかなぁ」
 と言うのに対して
「話はよぉ解らんかったけど面白かった!」
 って言ってましたが、私もパロディ部分が半分も解らなかったんですけどそれでも面白かったですわ…
 
 
 
 いやもぅホントに自分の学が無いが故に、折角の高座をもっと楽しめなかったのが残念でありました。演者の芸を見るには客もまた見る目ぇがあってこそ。これまで人情、世話物はあまり好みではなくまして人形浄瑠璃等も殆ど観ておりませぬ。とりあえずはこれから、まずは近松門左衛門から馴染んでいこう… っという自分への宿題は宿題っとして、大阪に着て本当に良かった! 大満足な独演会でしたわ。また機会があったら是非、生染二を観よう、っと! 心に誓って大阪を後にしましたとさ。