くるま、車、クルマ。(その3)

 
ランクスが来た頃というのは、私の生活が大きく変わった1年が丁度終わった頃だった。祖母の、今で言えば認知症による思考力低下と被害妄想での一族巻き込んでの混乱、勤務先の企業合併の失敗からのリストラの嵐、そして後に妻となる彼女との出会い… 実際にはもっと色々あったけれど物ごころついてからの20年くらいの、棲む場所も含めての生活が変わろうとしていた頃だっただけに、その渦中、奔流の中で共に過ごしてきた”相棒”として… いざとなんなれば全部捨てて逃げる為の足としてのカムリが、計算とか効率だのどうだって構わない兎に角この女性と一緒にいたいと始めて心から思った人との時間と共にいたカムリが、罵声と怒号しかない家の中では得られない静けさを求めたカムリが… 元々の車の良さ以上に、自分の中では特別になっていったんだろうと思う。
 
それまで祖母の面倒を見るという事で20年以上暮らしていた家を出て、会社の勤務地は多少遠くなたけれど首は繋がり、妻と結婚し、祖母が死に… 生活が変わった事に落ち着いた頃にやって来たランクスを新しい生活の象徴として迎え入れても良い筈だと思わないでもなかったのだけど、どうにもそういう気分にはなれずにいて。色々あり過ぎたのと妻との時間が楽し過ぎて生活がより保守的、内向的になったのもあるけれど自分の生活ライフスタイルにとって車は逃避の場所でもなければ娯楽の場所でもなく、アマゾン等のネット通販の発達からあえて自分がそこまで行かなくても良くなる一方でリアル書店等が潰れはじめている頃になっていたのもあって車に乗る事が目的ではなくなって、手段の1つとなっていったからかなぁ… と、今考えるとそう思わないでもない。
 
若干の不足感はイロイロとあるけど不満とまではいかないというランクスが手段としては適当だった。悪くはない。外装も内装も野暮ったいけれど作り自体はしっかりしているから壊れ難いし、時間が経過してもよりダサくなるという事がない。妻しか乗せないから車内スペースも十分。静穏性もそれなりだから日々の通勤や移動でのストレスにはならないでいる。求めている事をそこそこ満たしていて何か突出する程の不満は無いし故障もしない。乗っている事それ自体が楽しくはないけれど、地方在住者にとっての日常生活必需品としては悪くは無い車だとは思う。
 
ただ… 私にとっての車が何物かの対象ではなくなったにせよ、運転する事の楽しみは全く感じられないでいた。どこが、なにが、という訳ではないが、深いではないかわりに楽しくもない。必要時に必要最低限使用するようになったため、かつて年間数万キロだった走行距離が月に300キロ以下、年に3000キロ程度になったのは自分の生活の内向化、保守化だけではない、実用に過ぎるドライブの楽しみの無さもあるんじゃぁないかなぁ… と。
 
元々生活必需品は壊れない、どうしようもない限りは買い替えない性格ゆえ、大きなトラブルも故障も事故も無いままにランクスに乗り続けて、12年経過していた。その12年間にランクスはアレックスと名を変え、そして廃盤になっていた。(続く)