入院日記、その0。

 
始めは風邪をひいて体力が落ちた時によく起きる炎症だと思った左目の異常、学生ん時のやらかしで斜視になってしかも白い膜まで張ってきてたので地元の眼科に行ったものの、
「ウチではどうしょうも出来ません。」
 と一言での診療拒否から約30年、あっても精々0.1くらいな視力な上に斜視ってるけどまぁ3D映画は観ようとすれば出来るし特に日常生活では不都合は感じなかったのでそのままできたんですが、おそらくそんな30年ん中でも最大級の痛みと腫れがずっと続いて仕方なく駅前の眼科に行ってみるも、
「で、どうしましょう?」
 と言われる始末で… いや、どうしましょう?って何が原因で現在どういう状態になってるのか解らないから聴きに来たんだが… 診療拒否はまぁ乙武のような馬鹿野郎どもの所為でよくある事だから仕方ないにしても、あまりにあまりな言い様で。一応、腫れ止めだとだけ言われて渡された軟膏を家に帰ってネットで調べてやっと使い方が解ったのを一週間塗ってみるも目の周囲の腫れは引いたものの左目自体の異常は回復せず、地元の市民病院に行くと
「これはもぅ駄目です。左目の角膜に穴が開いて中身が飛び出している状態です。このままだと正常な右目にも悪影響しか無いんで摘出しましょう」
 と言われて… いやその、いきなり摘出って片目になるって事? えらくアッサリと言ってくれたけど、言われてハイそうですかじゃぁスッパリって言うワケねぇじゃん。私としては確かに利き目ではなかったし殆ど見えてはいなかったけどそれでも光の間隔とか日常生活で必要だったワケで。何よりも中身が飛び出しているのを何とか出来ないものなのかと問うてみても市民病院では出来ない、摘出しかありませんの一点張り。多分、診てはくれるだろうけど(目の)専門でも無いですよと言われながらも紹介状を書いてもらっての岐阜大学附属病院で様々な検査を受けての結果としては、
 
2月に発生した左目のトラブルは、先生によれば火傷によりきちんと瞼が閉じない事で少しづつダメージを負って角膜が擦り減っていった積み重ねの結果として、遂に角膜に穴が開いてしまったから、
 
 … という事だそうで、これからの方針としては
 
 1・正常な部位からの皮膚移植による左目瞼の形成手術。
 2・移植成功後に角膜移植。

 
 …という2段階を踏む、というもので。
しかし岐阜大学附属病院では「1」の熱傷への対処が出来ない、という事で紹介されたのが静岡県は浜松にある聖隷浜松病院で… 藁にも縋るつもりで紹介状を書いてもらって検査を受けてみて、岐阜大学と同様の診断で、手術しましょう!と眼形成眼窩外科の部長である嘉島医師にそう言って頂けるまでに既に問題発生から一ヶ月以上の時間が経過していて… 
 
仮に道筋が出来たというだけの事であって現実的に考えればかなり厳しく細い道程であり、運もかなり必要だというのが先生の説明からもよく解るものでして… 例えば「1」の段階にしても
 
 a・全身麻酔、というリスク。
 b・自分自身の皮膚であっても100%とは言えない移植手術の現実。
 c・46歳という年齢による回復力、生命力。
 d・健康な皮膚に、ではなく約40年前に移植し硬化している箇所への移植。

 
…って状況だけでも厳しいんですが、それを乗り越えたにしても
 
 e・角膜移植手術までに左目の状態が現状以上に悪化しない。
 
…という条件まで加わります。提供者あっての手術ですから何時というのは解りません。トラブル発生から既に一ヶ月経過していて、まだ、とりあえず、移植手術の話が出るくらいの状態ではありますが… これからの事というのはちょっと解らないんですよね…
 
そう、仮に今回の手術が成功したとしても、間に合わない、今回の手術が無駄になる、という可能性もあるのです。しかし… ここに辿り着くまでに既に3回治療・施術を拒否られていたんです。要は、左目は捨てろ諦めろ、と。実際、その方が簡単なんですが… それでも出来る事はしましょうと、言ってくれた先生がいて、自分自身が腹に据わるまでやれる事はやろうと言ってくれた妻がいて、まだ諦めたくないと思う自分のエゴでその道を行く事を決めました。先は、解りません。が、今まだ諦める気にはなれないのです。駄目なら、もぅどうしようもないと言われたのではないのなら、やれるところまでやってみよう、と…
 
 
 
って事で準備をして明日から入院。今回は遠距離地入院という事で自力対応を見越して色々考えてみて。明日から暇があったらばNEXUS7(2012)にインストールした、アプリ名通り無駄が無く私にとって必要機能だけの『Simple Notepad - シンプルなメモ帳』で日記でも書いてみようと。後で振り返れば次回入院の参考になるかな… っとぉ。