『ザ・ライト -エクソシストの真実- (原題: The Rite (2011))』

日本版ポスター

 

『公式HP』(日本版)
 
題材に興味があって出演者も良さげって事でGWスタートって事で妻と夕食後に観賞してきましたが… 個人的には「もひとつノれなんだ」ってトコで。予告編で「首が回ったり緑色のゲロでも吐くと思っていたか?」って台詞があったので実話ベースで虚実織り交ぜってのの割合を4:6か3:7くらいかと思ってたんですけど演出、カメラワーク、VFXも込みでのメイク、そしてスコアといいまんまホラー映画で9:1くらい?ってのが… 原題のが「光(light)」でも「正しい(right)」でもなく、本当に「rite(儀式)」であるのに… 演出が過剰ってのはどうにも。あと「人」「蛙」「猫」で解らないってどうよ?とか。
 
それと個人的に思った事で、まぁ難癖に近いんですけども…
 
エクソシスト (THE EXORCIST(1973))』が「思春期の娘に戸惑う父親の物語」とも見えなくもないのと比べると本作は信仰云々ってよりは単純に「【父親】不在の現在でも男が通過儀礼として行わなければない『父親殺し』をする為の物語」って見えてしまってなんかこぅノれなかったんですよ。退魔する悪魔が『 バ ア ル 』、「主」「王」である事から考えると主人公が通過する儀式(rite)はやはり『父親殺し』にしかならんと思うんですが、変に現代を舞台としてしまった為にそもそも殺されるべき役割としての父が立ってないから主人公は現状からのとりあえずの逃避をするだけで直接対立も対決も避けてきた若者で極端に言えばモラトリアムなんですな。昔なら社会制度的にある程度の年齢がくれば否が応でも組み込まれて社会の構成単位にならざるを得ないという過程を引き伸ばして陰でクダ撒いてる主人公が圧倒的な理不尽と暴力という【父親】との対決をする事での自立って構図の為の題材が悪魔祓い、ってなる為には対峙するマーカス神父が【父親】になるしかないし劇中主人公の父が死ぬのも物語的に必要になるのも解るけど、
「でも、必ずそうしなきゃならんのか?」
 って思ってしまうんですよ、私は。まず対峙すべきは自らであって、そこを踏まえた上でやるのかと思ったんだけどそうじゃぁない。他者の否定や拒否はするけど自分のやってる事は省みない(そこまで考えない)自己肯定思想のクドさは最近のアメリカ映画らしいっちゃぁらしいんだけど、どうもそれって私は好きじゃぁないんですよね…
 
 
 
と言うか、今週のアタマの月曜日に『銀魂’』『マギカまどか』『しゃべくり007』ってメッセージも内容もまるで違うんだけど、そういったウダウダを通り越して自分のやるべき事をやり遂げるってモノをまとめて観てしまってたんでどうにも、強要されたとか過去がって理屈や理由を立ててやってみせるってのがタルく思えてしゃぁなかったんですよ。『ファイト・クラブ』とかジェネレーションX世代を題材にした物語なり作品なりあったってのに今コレ?って感じに思えてしゃぁないと申しますか… なんか、ちょっとそういうのにはノれんなぁ… ってトコで。