「かけ違えたボタンは最初からかけ直すべき。」

 

・ディカプリオ新作で「超日本語吹替版」を採用!今後は洋画鑑賞の新スタンダードになる予感
 http://www.cinematoday.jp/page/N0022595

 DVDの利点でいつでも字幕表示をオフに出来るようになって痛感した事の1つに、字幕が表示されていたらばどんなに読むつもりが無くて読んでいないつもりであっても識別出来る文字である以上それが幾ばくかであろうとも結局読んでしまってる為に画面や音声の情報の欠落を招いてしまっている、ってのがありまして… よく最近言われる吹き替え派の増加の理由の1つにもこれがあるんじゃぁないんでしょうかね… と思ったりしてるんで、面白い試みですなぁと記事を読んでみたんですけど「役者の口とセリフがマッチせず、違和感や不自然さを感じる」のはそもそも言語が違うんだから仮に声優さん達の声を映像の俳優の口の動きに合わせて再生スピードを変えて完璧に合わせてみたって違う音を発している以上完璧に合う事なんて有り得ない。ピクサー等の3DCGアニメでも英語で喋ってるから吹き替えでは口と合ってないのにねぇ… まさか口の動きに合わせる為に台詞の捏造するのかねぇ? 「超」ってぇと私らの世代だとシドニィ・シェルダンとかのアカデミー出版がやってた「超訳」ってのがまず思い浮かぶけど、アレも確か台詞の変更や章の入れ替えも含めた意訳ってより翻案っかナンと言うか… とか思いながら読み進めていったんだけど
 
 戸田奈津子じゃぁ駄目でしょ。
 
 っか、何で今更、よりによって戸田奈津子、なの?
 
 専門用語や歴史等を知らないし調べもしないし、って事例は『戸田奈津子の字幕』を見ていただければ嫌っちゅ〜程出てるので今回は割愛しますが、あの婆ぁの場合1つ1つの珍訳誤訳をいくら挙げてってもしょうがないのはそもそも彼女には外国映画や小説等に対する憧れも素養も興味も無いし、と言って日本映画や文学における素養も教養も興味も無いし自分の仕事に対する責任感も無いから脚本はおろか通しでの自分がした翻訳チェックもしないしでやる事なす事出鱈目になってるんですよな… デティールどうこうじゃなくてまず根本、出発点そのものが間違ってるんだもの。
 
 記事中の例になってる

 
「銃を持ったままじゃ、この門はくぐらせない」→「銃を持ったまま門を通すわけにはいかない」
 

 にしたって原文がどうの以前、そもそもの最初の文章がおかしいだけでしょ… 「ここから先は銃は御法度だよ」「銃は置いてきな」くらいでいいじゃん… こんなのは決して翻訳的な言い回しでもないし、違和感のない話し言葉への拘りでもないっての。で、その台詞をどうやって合わせるっての?
 
 かけ違えたボタンは最初から直すべきであって、今回の場合で言えばそもそも翻訳が出来ない戸田奈津子を排してキチンと翻訳が出来るプロが日本語吹き替え版の音響監督とかスタッフや声優さんらと協議なりしてキチンとした吹き替え台本を作成する、って事でしょうに。映画版アカデミー出版を気取りたいのかもしれんけど、いやそもそも戸田奈津子の時点でもぅおかしい、って事実がこれだけ出てるのにどういう事? 話題作りでのタレント起用の方がもしかしたら意外にハマるやも知れない可能性がゼロではないのと比べたら、台本っか翻訳が駄目になるって時点でコッチの方が救いが無いよ…
 
 
 
 私もごくごく稀に、だけどペーパーバックとかを読む事もあるんだけど、読み進めていくうちに何気なく過ぎた単語や一文が後で伏線になってたり後半で違う意味合いになってきたりするってのは珍しくないじゃぁないですか。まして映画なら… 例えば

 で主人公ショーンが叔母さんから「御機嫌いかが?」と問われて答える「Ah... Survive」ってやりとりが三回あるのがギャグになっていくのをどう訳すのか?ったら実は結構難しいでしょ? 言葉としては「survive」で一緒だけど意味合いは全部違うんですから。だけど翻訳ってのはそういった事も踏まえて作品トータルでのものの筈で、戸田のやってるような一つ一つの切り貼り、パッチワークにもなってないツギハギの事じゃぁないでしょうに。ホント、あのの糞婆ぁは作品全体を通して、とか、自分の翻訳全部を通しで見直すって事はやってないから余計におかしくなってるのさね。海外ミステリーの翻訳で普通、人称や自称が一つの作品内で意味も無く極端に変化しますか? それこそただの「I」を日本語の表記でするとすればザッと書いても「僕」「私」「俺」「自分」って漢字にそれぞれ平仮名と片仮名での表記がある中から作品全体をよく見て選ぶものだしそこで翻訳家のセンスと技量が問われるのだし… ってのに比べたら本当に酷くて一本の映画の中で意味も意義も無くコロコロ言い様が変わるんだけどそれが自称だけじゃぁないからホント混乱するの。
 それにあの婆ぁの趣味っか勝手なんだけど、宗教や人種等の差別ネタを丸っとカットして全然別の台詞にと捏造とかもするから字幕で読むと人物や情況の設定や意味や伏線が飛んだりしてワケわかんなくなるようなのも珍しくないんだけど… それはもぅ誤訳じゃぁなくて単純に駄目な仕事で、なのにそれこそが映画字幕翻訳だとふんぞり返ってるから余計に腹が立つんですよ私は。
 
 婆ぁには映画なんかどうでもいいからいつでも適当な仕事しかしてないだけなんです。かつてキューブリックを激怒させて降板させられた後で反省なり自省してるような人ならやる映画やる映画がどれも誤訳だらけ、なんて事になりますか。
 
 監督や脚本家や俳優さんらがした仕事もどうでもいいし、作品のテーマもテーゼもどうだっていいんです。でなきゃあそこまで酷い台詞のカットや改竄を毎回毎回やれますかいな。
 
 勿論、映画を観る観客だってどうだっていいんです。原作を読まない、脚本も見ない事を誇らしげに語れるくらいに自分第一だし、記者会見での気持ち悪い通訳ごっこの様でも解るように他人なんざ知った事じゃねぇんです。
 
 これこそ老害以外の何者でもないってのにね… どういう利権構造になってるか知らんけど、それでいいって映画会社も思ってるからこういう事が続くんだろうけどさ、ホント、あんまり客を… ちゃんとお金を払う客をナメるのも大概にしてもらいたいよ… 先日の記事といい、それでも商売になってるから続けてるんだろうけど、それが正しいと本気で思ってるワケでもなかろうに、ね…