イメージ。

 
 死ぬ、というイメージが持てなかった人で、しかも同年代の人が死ぬというのは漠然とした喪失感に包まれるもので。これが二十台ならばまた違うのだろうし、五十台になるとまた違うのだろうが… 四十という歳というのは丁度分水領のようなもので、自分の残り時間と出来る事がなんとなく身に染みてきているだけに余計に、って部分もあるのかもしれないが。長生きは無理、まぁ精々が三十くらいかな?と私に言った医師の方が先に無くなってしまい、一つの区切りとしての結婚をして今年で十年というのは望外だが… と言って、流石に自分の衰えやらが本当に染みてきていて、死というものの呆気無さ故の怖さをその染み込み加減でより重く感じるようで。
 
 昔、さる映像作家の先生と飲んでいた時、
「USA-P、俺はもぅ死にたい。っか死ぬよ。」
 と言われて
「いやいやいや。先生、そんな事は言っちゃ駄目ですって!」
「だけどなぁ… この歳まで生きるとな、まず自分が憧れてたり世話になった上の人達が死んでて、仲間や友達もどんどん死んでて、そして自分の子供や孫くらいの歳の若者が死んでるんだよ… なのに生きてる。俺が生き残ってるってのが凄く辛い時があるんだよ… 」
「そうかも知れません。でも、先生は今生きていて、生きているからこそ僕は嬉しいんです。すげぇ手前ぇ勝手だけども先生とか、僕が好きな人には、まだ生きている以上は、生きている人間が死ぬだなんて言わないで下さい!」
 と言った時は三十路になる前だったかなぁ… でも、まだそういう気分と言うか気持ちではあって。
 
 数年前、癌で手術を受けたが今や回復なされた先生が今週末、名古屋に上映会でお越しになられる。私は行く。生きている間に出来る事は知れてはいるが、まだ生きている以上は、生きてゆく。その日、その時を大事に、生きていきたい。