『立喰師列伝 (2006)』

 
 チャンネルNECOで視聴。
劇場で観たら多分腹が立っていたであろう作品もケーブルで観るならまだ何とか、と言った所か。
本編前、監督自身が「正しい戦後日本を題材にした映画」と言っていたがちゃんちゃら可笑しい。っか五社英雄深作欣二、新堂兼人でも岡本喜八でも溝口健二でもいいんだけど戦中世代の映像監督が観たらどう思うんだろうか? 饒舌さなら筒井康隆でもいいんだけど… 私は戦後の消費による資本主義体制とフランチャイズ化による体制化に対する物語としてのアンチテーゼと言うかアジテーションかと思ってたんだけど本作にある程度の共感を持てるのって同時代の都市生活者だけなんじゃなかろか? 但し、ベトナム解放万歳!と叫んだ自分を後に自己批判も総括もしなかったし出来なかった小田実とか、まぁそういう人種に限って、だけども。
 
 映像的には凡庸でテンポと楽曲で観れただけの代物で、「語るに落ちる」と言うか… 別に「語る事でしかオチない」映画があってもいいとは思うが、その語りすら自己韜晦っか時代や社会状況や体制に対しての批評性も意義申立ても無いのを除けば悪ふざけ以上のものがあるんだろうか? っか悪ふざけだけだっていいんだけど、だったら尚更映像がなぁ… って私は思うんですよ。あのペラペラな人物表現が意味があれば良かったのだろうがそれもエピソードによっては曖昧だし、食と個人と社会という根源的っか根本的な生に直結した問題として描く気が無かったのならば、それこそ映画監督という詐欺師としての矜持があるのならもっと大風呂敷を広げてみせるだけでも良かったし、風呂敷が大きくも華麗でなくとも綺麗な畳み方をしてみせても良かった筈ではないのか。長谷部安春とか、エンターテイメントしていたのと比べると、語る事でしか何物かがあるように見せられなかったのはアニメーションとして致命的な欠陥じゃぁないのかなぁ… 本編が、映像化されるだけの意味のある画面が無かったもんなぁ… と言うか、映像よりもコレ、それこそマンガでは駄目だったんだろうか? でなければラジオドラマか。それならば立喰師の口上や店主とのせめぎ合いが無くてもいいと思うし、フェイクドキュメンタリー形式にも合ってると思うんですけどね…
 
 っかね、ふと思ったんですが、もし『天使のたまご』が難解だ意味不明だと言われる事なく商業的な成功を収めていたとしたら、果たして今のような作品を作っていたんでしょうかね? かつての『うる星やつら』のメガネのように、自身の一部を投影したキャラは皆饒舌でありつつも饒舌である事にしか意味は無くその存在も行動もまたギャグであったのと比べると、為にするそれ自体の意味は無くとも近年の作品【世界】の密度っかディティールの為であって物語でもキャラクターのためでもない饒舌さには私は正直飽きてるんですよね…