『サンキュー・スモーキング (THANK YOU FOR SMOKING (2006))』

 
 煙草業界が設立した研究アカデミーの主任広報のニック・ネイラー(アーロン・エッカート)は日々激しくなるばかりの煙草産業を守るべくマスコミに対峙している。収入にも恵まれているし困難な仕事にやりがいを感じている上に上司や同僚からの信頼も厚い。ただ奥さんに愛想を尽かされて現在は別居状態ではあるが、息子のジョーイ(キャメロン・ブライト)からは慕われてはいるらしく、それはそれで満足ではないものの悪くは無いものと思っていて。
 ある日、煙草の売上回復を図る会議でニックはかつてのように映画で主人公やスターに喫煙させる事でのイメージアップを提案。煙草業界の最後の大物・キャプテン(ロバート・デュヴァル)も気に入り、かくしてニックは“ハリウッド作戦”を成功させるべくロスへと向かうのだが…

 
 原作小説は未読なんですが粗筋に興味があったもんでレンタル視聴したんですけど… 凄く出来がいい作品だとは思わないんですけど、ジャンルとしてのハードボイルド小説が究極的にはアメリカでしか成立しえないのと同じように実にアメリカならではのアメリカ映画であったなぁ… って事で、映像の無駄の無さ、オーソドックスなんだけど安心していられる音楽の使い方、そしてユーモアという点で個人的にはとても楽しめましたな。
 
「自分自身がきちんと考えた上での選択をする事。そしてその選択に対しての自覚と責任を持つ事。」
 というのは9.11以降、二元論的な単純さや安易な被害者自慢比べ、相対化遊びの仲良しごっこからは随分と思慮の距離のある… っか、戻ったんだけど… スタンスが個人的にはとても気持ち良かったんですが。立場はあくまでも立場であって、それが選択の理由にはならん。何せ、自由の国なんだから。だからこそ選択をするにはキチンと自分でよく考えた上で行わなければならないし、その選択をした以上は(結果に対する、も含む)個人の覚悟と責任が必要で、選択に対しても結果に対しても個人の都合や事情や気分での立場の正当性や正義を強要したり他者を踏み躙る事は「自由」ではない。
 だからニックは強要はしない。立場の上での答えは出すが、それはあくまでも立場の上でのものだという事はちゃんと言う。その上での相手の選択は尊重してもいる。が、話し合いや議論ではなくただ強要される事については頑として拒否をする… その結果、命を落としそうな目に合うけれども… っと書くと硬派なハードボイルドなようですが、本作の主人公ニックは尊厳や誇りを突きつけ合うようなスタイルではなく、あくまでも穏やかな笑みを浮かべてのもの、ってのがね。勿論、交渉をするうえでの技術もあるし詭弁をカマす事も平然とするんだけど(笑)、少なくとも嘘ではないし違法な事はしていないから自己嫌悪や罪悪感に苛まれるという事もない。そりゃまぁ世の中が全て自分の立場の思い通りにはならないけれども、しかし世の中ってのはそういうものでだからこそ自分は自分に出来る事での事をする、というのは若者には玉虫色、汚い大人のように映るのやもしれないんだけどただただ己の正義、正論の為にテロをする偏狭さよりはまだマシだと私なんかは思うんですけどね。
 これが国民の大半が今日食べる物さえままならない飢餓に覆われた国でならばそういう余裕は持てないんだけど、少なくともアメリカはそうではない。だから驕りと言えなくもない部分もあるんだけども、豊かさを享受しておいての聖戦ごっこ、正義比べの卑しさやみっともなさに比べればマシなんじゃぁないんでしょうかね? …っと、これは
あくまで私の感想っか鑑賞後に思った事であって本作のメッセージやテーゼではないんで悪しからず。
 ただ、こういう「自由」や「権利」について考えるにはいい映画だと思いますよ〜 喫煙論者vs非喫煙論者なんて枠組みだけで観るのを避けてるのは勿体無いですよ。だってこの映画では「どっちもどっち」、確かにニックは主人公で煙草産業側の人間ですけど、双方の立場での言ってる事やってる事って対立がテーマではありませんし、結局どっちも擁護なんかしてませんから。
  
 
 だけど多分、監督らは非喫煙論者なんだろうなぁ… だって画面には一度も喫煙シーンが無いんだもんなぁ(笑)… っと観終えてラッキーストライクに火をつけつつ思いましたとさ。