天満天神繁昌亭 『客席参加型落語体験ツアー』

 
 どうやら今回は団体さん組優先、それも二組もあるようなんで一般自由席の我々はあまり席には期待出来そうに無いな… っといささか落胆しつつも入場すると、一般客として案内されたのは二階席。ま、今晩の談春独演会もに会席だしその下見ってつもりではあったし、なにせ¥1500で手拭と扇子がオマケについたこの朝席、桂三風氏は見た事が無いが、多分初心者向けの落語講座にプラス、ってトコだろうなぁ… っと、ややぎこちない、えらく素人くさい案内係らにイラつきながら席につく。

 既に写真やら何やらで見ていた繁昌亭建設費の出資者の名前が書かれた提灯だが、天井をみっしり埋めたその光景は二階席で見ると壮観。入り口で渡され手拭と扇子を開けてみるとそこには寿限無の名前と可愛いらしいイラスト入りのもの。アンケート用紙に若手の落語会のチラシを見ていると僅かに客電が落ちて落語家さん達がご登場するが、その人達が入り口でチラシやら配っていた人達の中にいた事に吃驚もする。そりゃまぁ手際が多少悪いのもしゃぁないわね(笑)。
 
 で、
 
 この落語体験ツアーというのは落語により親しんでもらおうという若手のイベントで、その為通常の席とは違って上演中の写真撮影もオッケー、普段は未就学児童の入場不可なれどこれに限っては可、という事で客席は昨夜のなんばグランド花月並みに様々な年齢層のお客さんで、まぁ寄席好きの人からすれば邪道なのかもしれんが私にはこれはこれでアリじゃぁないかな? と思う。敷居が高いとそれだけで敬遠されてしまう落語を、ブームだからとアグラをかかないでこうやって地味なれど、大変であろうとも入り口の1つとしてやろうというのはいい事ではないかと思うのだが… あ、でも今回配った手拭が手拭が売店では¥700、扇子が¥1000しまっせ、ってわざわざお得なのを言及していたのは大阪らしさなんでしょうかね?(笑)
 
 しっかし、桂三風氏以外にも月亭遊方氏、笑福亭たま氏(すいません、後お二方のお名前がよく聞き取れませんでした(平伏))と若手落語家さんの中でも私でも知っている人がいるというのは何となく嬉しくもあり。特に笑福亭たま氏は『らくごくら』で「くっしゃみ講釈」を実に伸び伸びと演じられていたのが観ていて楽しかったのですが、たまたま二階席担当となってそれも私達夫婦のすぐ傍で見た御尊顔はなかなかに鼻っ柱の強そうないい感じの若者でますます好感を持ちましたな。
 
 さて、
 
 まずは三風氏による簡単な落語の歴史と道具等のお約束事をサラリと。小さい子らには退屈かな?と思ったが、三風氏の存在感と親しみのある解り易い語り口と手馴れた感じに場内は穏やかなもの。関連する芸能として別の芸人さんによる南京玉簾の実演があり、締めた後で遊方氏と共に扇子や手拭での所作の解説があってから遊方氏による「ちりとてちん」。おぉ、ここで古典、しかも個人的には関東版の「酢豆腐」より好きな「ちりとてちん」でもぅここでテンション上がったんですが、遊方氏の講座はその遥か上のテンションでございまして。
 先に三風氏と落語における扇子や手拭で現す所作例を見せているのもあってか1つ1つの所作を見やすく解りやすく大きくみせるというのもそうだし、「ちりとてちん」を食わされた通気取りの苦しむ様を高座どころか舞台の上をもんどりうって転がり回るというもので、高座後に三風氏が
「こんな激しい「ちりとてちん」は見た事がない」
 と言っていたくらいで落語好きの人にとっては大袈裟過ぎる、臭い、わざとらしい、って思うのかもしれんけれども個人的には
「これはこれでアリなんじゃぁないんだろうか? と言うか、よくここまで徹したもんだよなぁ…」
 と好印象なんですけども。
クドイしベタなんだけどギリギリ下品でhないと思えるものだったし楽しかったし、ってのもあるんですけど、あくまでもこの朝席は落語に馴染みの無い人達や寄席に馴染みの無い人達に向けてのものであって、その解りやすさの為の大袈裟さ、クドさがいかに好みでなかったとしても文句をつけるのは筋違いじゃなかろかと。同じ朝席でも若手の落語会や勉強会ならば兎も角、これはそういう企画物なんだし。
 
 今から40年近く前の事、演芸ブームに押されて上方落語の危機と言われた時代があったそうな。
そこで当時の若手の落語家の一人(入門5年目)が落語を二人でコント風に演じる「ステレオ落語」や、三人以上で落語を演じるコント「噺家団地」をやり、大人気を博したそうですが… その若手の落語家こそ笑福亭仁鶴噺家団地の初期のメンバーに桂小米朝月亭可朝)、笑福亭光鶴(枝鶴)、林家小染(先代)だったそうで… 詳しくは『らくごくらWEB編』バックナンバーの「噺家団地」んトコを読んで下さいませ。
 
 んで。
 
 噺家が芝居をする鹿芝居にしろ大喜利にしろ、初期の頃は邪道、外道と言われた事だと思うんですよ。客に阿るっか、落語家が… って。でも、「落語を見る」という時に必要なポイントや慣れという点では色々な工夫や試行錯誤があった筈で乱暴な言い方をすれば新作や現代版へのアレンジ、構成の変更とて同じ目的でやられてる場合もあるんじゃぁないんでしょうか?
 大体、落語に馴染みの無い人にとっては前でちょっと高い舞台で壇があって話を聞く機会なんてのは校長先生やら何処ぞの先生の講演などであってつまらない、堅苦しいってものか、そうでなければ結婚式やら何やらの退屈、冗長ってイメージがあろうし、一人で演じる落語での空間表現も見慣れていなければただ座っているだけにしか見えないであろうて。まして生の舞台を見る機会が無かった人ならどうか? TVのようにズームもパンも別アングルへの切り替えもしてくれない生の舞台を「見る」から「観る」事に慣れていなかったのなら?
 無論、それに対してどう解りやすく伝えるのか? というのは人それぞれだと思うし所謂名人、大看板ならここまでドッタンバッタンとしなくても別の方法なり普段のままでも伝えられたのやもしれんが、それはそれ。游方氏は今回の客層を見て自分の力量も踏まえた上での判断をし、それに徹して大爆笑となったんだけども客層が違えば違う「ちりとてちん」になっていたであろうし、もしかしたら別の噺をしていたかもしれんワケだし。そりゃまぁ私とてクドいと思わなかったワケでもないし、
「意図は解るけど、でも落語がああいうのだと思って別の人のを観てガッカリするんじゃないのかな?」
 という妻の感想も解らなくもないのだが…
 
 次に誰かの「ちりとてちん」を見た時に今回のと違いが楽しみ、面白さ、興味になるかもしれない。また游方氏の違う落語を聴きたくなるやもしれぬ。ラジオやTVとは違う舞台での落語の見方、フレームの1つとしてこれはこれで立派なものではないかと。何より寄席という場所で笑った事はいい思い出になるんじゃぁねぇんですか? まずはそれが大事なんじゃぁないのかな? っと私は思うんですけどねぇ…
 
 この後、先に渡されたアンケート用紙にお客さんが記入した扇子や手拭で出来る事の中から、それぞれのブロック担当の落語家さんが選んだ面白そうな物を書いたお客さん本人が高座に上がって実演、ってのがあっての最後は三風氏による客席参加型落語「三年一組同窓会」。
 今回のお噺での「参加」はお噺ん中での同窓会での乾杯と拍手ってトコを一緒にやり飲み物を飲む仕草をする、というものなんですが、会場の皆で「乾杯!」と言う事での一体感もさる事ながら三風氏がいつ合図を出すのか?って事で自然と舞台の演者に集中するような仕掛けにもなっているのにも素直に感心しましたな…
 
 これもまたブームに胡座をかかない、これからのファンの為の間口、入り口の1つとして、そしてこれからの落語での表現の試みとしてアリなんじゃぁないのかなぁ… と楽しんでの1時間半はアッという間に終わり、小屋を出ようとするとこの朝席で出演された落語家さん達が出口に揃ってお見送りをしてくれて、その景色に天神さんからの祭りの練習の音が重なりいい気分になりつつ繁昌亭を去りましたわ。
 
 でもいいですよなぁ、東京や大阪ってこういう寄席なり小屋があって。
自分の棲む岐阜じゃぁこうはいかない。と言って、落語家さんを呼ぶような資産も無い(苦笑)んで、これからも面白そうな企画があれば、大阪なら在来線でも2時間ちょっとで行ける場所ですし繁昌亭以外でも落語がある、そして桂米朝桂春団治林家染二氏などなどなど、生で観たい大阪の落語家さんもいるんだからこれからは機会があればもちっと大阪に来よう… っと思った朝席でしたワ。