『らくごくら』 #25「第6回朝日いつかは名人会(前編)」

 
 林家たい平さんが選出された前座、二つ目さん達による前編でしたが… 落語という芸の奥深さや難しさを感じましたな…
 
 ・柳亭市朗『狸の恩返し(と言っていたが『狸の札』じゃないの?)』
 前回「第5回朝日いつかは名人会」の時も前座を務められていたそうなんで、今回コレを書くにあたって前回の記事を読み返すと「まだまだとは思うのですがとりあえず勢いがあって好ましく思った」っと書いてあるんですがサッパリ思い出せませんでした。今も思い出せないんですが… 前座さんに今からアレコレを求めてもしょうがないんですけど、声量はあっても滑舌がイマイチ、お客が見れないからか笑う間が無くて噛みトチリつつワァワァ勢いでいかれてもなぁ… っと。
 あと高座前のインタビューで
「前回出演した時に一番自信のあるネタをやっちゃったんで今日は三番目に自信のあるネタをやろうかと。で、二番目に自信があるネタは次回の時にでも…」
 という趣旨の事を語っていたのには… まぁ人それぞれとは思うんですけども、芸人が自分から「次回」って言うのって浪花節河内音頭等のような芸能としてのお約束事ってのなら兎も角、あくまで「一席」の落語で今日の出来・不出来を後で言うのならまだしも上がる前に「三番目に自信があるネタ」「次回」ってのは個人的にはあんまりいい事とは思えませんね、それが本心かどうかを別にしても。
 そりゃまぁこの一席が一期一会、その一席に命をかけろ、とは申しませんが数多い前座さんの中からこういう場を与えてもらって臨む姿勢としては何だかなぁ… っと。
 
 ・三遊亭金翔(公式HP)『紙入れ』
 体型ではなく雰囲気、佇まいに
「前座とは違うのだよ、前座とは!」(広瀬正志氏の声で)
 と一見でも解るの程のどっしりとした安定感があり期待をしたのですが… 何て言うんでしょう?声も滑舌もいいし、語り口と緩急のつけ方、所作など落語な筈なんですが、何故か落語を聴いている気にもひとつなれない。舞台での朗読を聴いているのに近い気分と言うか… 決して表情とかが無い訳ではないんです。ちゃんとあるんだけど、どうも落語ってよりは朗読のような… それが姿勢による声の出方のせいなのか何なのか、私の中での違和感の理由はよく解らないんですが、落語の良し悪しを例えるに「演じている噺家が見えなくなって噺の登場人物が見えてくる」ってのがあるんですが、もひとつ人物が見えて来ないと言いますか、登場人物の年齢や雰囲気が噺ではなく話から想像をつけて見ていた感じがしたんですわ。いやでもあえてクドクドしたものにしないでサラっと演じられた点は個人的に好みだったのと、ご自身のブログにて
「緊張しすぎて出来は正直不満足だった」
 とお書きになられているように、多分この方の芸の地力はもっとある筈、なので次回に期待したいです、ハイ。
 
 柳家三之助公式HP)『棒鱈』
 ゆったりとしたマクラでのスタートからさて? っと思ったら巧く噺にノせられて大笑いをさせていただきました。噺的には田舎者を嗤う… それも御維新後の江戸を我が物顔で歩く薩摩の人間を笑い者にするという形式なんで、どうも痛快さと言うより若干嫌味ったらしく感じるのは私が田舎者だからなんだろうけども… まぁ薩摩の侍がヅケのマグロを「あかべろべろの醤油漬け」っと揶揄しているし酔っ払い具合としてはお相子、って聴けなくもないネタなんですが… って思っていたのも中盤まで、そっからはもぅ笑って笑って。喧嘩を売る酔っ払いの酔態が状況の進行によって変化していっているからこそ侍に啖呵を切るトコロに無理が無いように思えましての、お客にウケるからとそれまでの酔態をクドクドやってたらこうはいかない事を思うと落語もまた難しい芸なんだなぁ… と改めて思いましたよ。
 
 さて、
金翔氏、三之助氏共に奇を衒わない、クドくしないスッキリとした古典を見せてくれたこの前編を受けてのトリの林家たい平氏が演じるのは『愛宕山』だそうで… 『らくごくら』で上方版を見たのもあるので*1その違いも含めて次回がまた楽しみですわ。
 

*1:あぁ記録しておかなかったから誰が演じられたのか解らない… 多分、桂吉弥氏のものだと記憶しているんだけども…