「物語。」(映画雑記)

 
『Dragon Tiger Gate (2006)』を観終えたときにボンヤリと
「そういやぁ主人公が特訓や修練をしなくても勝利する物語が増えてね?」
 と思って。
確かに昔から主人公は兎に角強い者という物語はあって、その爽快感はそれ
はそれでいいんだけど、例えばそれが映画版ハリー・ポッターのように結局
生まれが全てでボンクラ生活をチャラってされる形式だと何か釈然としない
んですな。
 でも現在の主流と言えば明らかにこっちの方、かつての特訓や修練の替わ
りが内面との葛藤やらトラウマってされるのもなんかうぜぇよなぁ… っと
思わなくもなし。
 
 確かに才能の差、ってのは如何ともし難い明確な差としてありますわな。
でもそれに生まれ(国)や育ち(家)の差もあるからこそ才能だけで全てが
決まるってワケではないし、全てが揃っていようとも駄目な時は駄目、って
のだからこそ生きてゆく事は面白いもんだと思う私からするともぅ生まれた
時点で全てが決まっていて、後はどうやって当人がその才能で自己存在確認
をするのか?ってだけのお話ではなんかノり難いんですよな。
 様々な試行錯誤や努力等を経ての最終的に適所適材、ってのならまだマシ
なんですが、ハナから決まったポジショニングでの役割分担が物語中に磐石
であればあるだけ閉塞感を感じるんですよね…
 
 そりゃまぁ『巨人の星』やそれに影響された『ウルトラマンレオ』みたい
に何が何でもまず挫折で特訓ありきってのばかりでも鬱陶しいし辟易とし
ますけど、『ピンポン』が二段構えで軽やかに状況を抜けていったのを思う
ともうちょっと、現代ならではの物語の在り方、立ち位置ってのが色々ある
ように思うんですけどねぇ…
 
 
 
 いやその、贅沢なのは承知しているんですけどね、ええ。