無題。

 
 パズルや数式の答えやら、歴史の年号やらのように確定しているものやら事実の誤り、勘違い等を正すのならばまだしも、個人の印象や主観や感想について自分のと異なるからと言って否定やらに走る御仁が時折現れるのもwebでオープンにしているから仕方の無い事なのかもしれんけれども、ただ当該記事にコメントを書き散らかすよりも自分で良いと思う・いいと思う物事についてブログなりHPなりで情報として公開した方がよっぽど健全じゃぁねぇのかなぁ… っと思うんだが、そこんトコロはどうなんだろう?
 だって私のブログなんざぁ1年ちょっとやって8万ってアクセスってのを超えるのなんて毎日更新して宣伝TBしまくってりゃアッと言う間に超えるでしょ? … そりゃまぁいくらアクセスを稼いだ所で中身が無ければ説得力とか影響力なんか無いもんですがね、検索で飛んで来たよく読まない一見さんくらいなら別に問題無いワケだし…
 
 まぁしかし、ブログって読まれる事は無いんですなぁ… 私なんか気に鳴る記事があると最低関連かそのカテゴリーくらいは読むんですが記事単位ですらちゃんと読めない人には一体どうしたらいいものやら。そういうのが面倒くさくなったのもあったから日記サイトは止めたんだけどなぁ…
 
 ネットにアクセス出来るって時点でフラットになる事そのものはとてもいい事だとは思うんですよ。でも、己の認識や程度を基準にした地平にしようとするのって凄く虚しい、っかツマンナイと思うんだけどなぁ… 国や人種や宗教や次元や階級や地位が違ってたってアクセス出来る、その素晴らしさを矮小化して得られるモノなんぞ高が知れると思うんだけどねぃ。