「時代の終わり」(時事雑記)

 
 ・「東京ファンタ」が休止
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060703-00000137-jij-soci
 
 というニュースを見て、かつてV−ZONEだ宇宙船だファンゴリア日本版
だのを読んでいた自分としてはひとつの時代の終わりのようで寂しくある反面
卑しくもプロが自主上映会ではなく企業から金を引っ張ってやってきた映画祭
で商売にならないような事をしてちゃぁ仕方ねぇよなぁ… っと思わないでも
ないのは年のせいかもしれんけれども。
 
 しかし、例えばタイ映画の勢いやパワーを商売として結びつけるのならば
上映すべきは『バトル7』ではなく『ボディガード』や『SARS Wars』では
なかったのかと。カルトだナンだとマイナーを紹介するのはいいけれども、
その一方でキチンとした企画のセールスや売れる作品を選ぶ多様性ってのか
な… 同人ではあるもののSF大会が事務面としてはかなりのシステマチック
さを蓄積しての運営になってるのを思うと、ファンタの場合は映画のセレクト
からしても年々同人的に、アマチュア的になってしまってたように見えてた
もので、そういう点で秘宝も好きじゃぁないんですよな、私。
 
 マイナーであるからこそのファンと、消費者っか享受者にハードルを課して
いるが故に結果としてマイナーになってしまうものだからこそ愛すファンとは
やはり別物であろう。そして、商売にならないのは百も承知していて自分達の
体力の続く限りマイナーでも提供し続け、そして倒れた結果に対してはIFを
言うべきではないが… 正直言ってファンタの場合はそこまでの信念っか信条
があったのかはワリと疑問だったりもする。
 このインターネットの時代、自分でその国からDVDを買える時代での方法
論っか事業論はあった筈だが、それをしなかったのはファンと運営側の責任で
あり、扱う映画が自主制作ではなくその国ではメジャーとして製作されたモノ
がメインになってる時点でズレはあったんじゃないのか、と。そしてそのズレ
を正す事よりも今のファンに応えていった(と思っての)結果ではないのか。
  
 だから時代の終わりとしては、既にその役目は終えていたとは思う。
しかし、昔好きだった女と場末の風俗店での再会でも何かしら心に負のものだ
けではないように、その死すらも何かしらの感慨を抱くだけのファンタジー
あったファンタの終焉は寂しくもあり、切なくもあり、そして甘くもある…
 
 
 

 とか思った月曜日。