昨日の追記っか補記。

 
 ■[映画][雑記] 押井守。にtet君から

 
tet東浩紀氏と全く同じことを言ってますなw』 (2006/04/18 01:27)
 

 というコメントを貰って「w」の意味を考えてたりして。
 
 まぁそれはさておき、
 
 アレは元々はファミ通の対談で
「僕は東京オリンピックにダマされた世代だから」
 と言う押井守
「ボクは大阪万博に騙されたクチです」
 と応じた小島秀夫、どちらも軽口なのは解るんだけどクリエイターとして私は疑問に思ったんですよな。子供の拗ねた言い訳じゃぁあるまいし、ましてクリエイターだったら
「じゃぁ俺の作るモノで羨ましがらせまくって、夢ぇ観させまくって騙しまくってやらぁ!」 
 ってならんもんなんですかね? っとな。
ルサンチマンっか反発主義も結構だが現在、過去への個人の怨念を体制への反発、いや、挑発だけで良しとしてるだけじゃぁなぁ… 少なくとも私はノれんよなぁ… とか思うんですけどもね。そこに作家として、それを行う意味はあるのかもしれないがしかしねぇ… それだからこそ食えているという現状も込みで蛸壺っか自家中毒になってるのは皮肉っか矛盾なんじゃぁないのかなぁ… だって究極的な反発である革命をロマンとして語ってみせたって、そこに先も未来も理想も無いんじゃぁオウムのハルマゲドンや五島勉ノストラダムスと一体どれほどの違いがあるというのか。それならば郷愁は郷愁として未来への意志を語った『クレヨンしんちゃん モーレツ! オトナ帝国の逆襲』の方を私は支持しますけどね…
 
 っと思ったのがキッカケではあります。
 
 尤も、
全ての作家が大人である必要は無いワケですし、無責任な終末観、カタルシスとしての戦争に拘り続けるってのはアリだとは思うんです。押井監督の場合、政治や戦争なんてのはロマンを語る事の為の理屈付けでしかないのは解ってますし。
 でも、もぅちょっと違った事が出来る筈の人なんだけどなぁ… ってのは勝手な勝手な買い被り、なんでしょうな…