思想。

 
 んで、まぁついでだから書いとく。
 ただし無茶なんで暇な人だけ
 
 全く氏の事について知らなかったもんで一応、ネットで読める東浩紀氏の文章(はてなにも在籍されてらしたんですな… )なりインタビューなりを読んでみたんですが、個人的には近い世代というのもあってか空気っか気分としては解らないワケじゃぁないし、彼氏の思想的立場だの行動だの言動だのに対して特にどうこうという事も思いませなんだ。それ以上の感心も興味も持ちようが無い、ってくらいの意味ですが、その程度のアーカイブしか見当たらなかったってのもありますが。
 
 しかしまぁ…
 
 ここからは東氏に対して、ではないんですが…
 
 そもそもポストモダンが言う構築の指すものが体制か国家か価値観か何かはよぉ解らんし提唱する人それぞれなんだろうけど、そのどれもがぶっちゃけ私からすればマジョリティである健常者のものでしかない以上、どんな物語なり手順なりコミットなりになろうがまず、マイノリティとして対峙すべき自己っか自個との問題だとしか思えないのと、社会学としての哲学って時点では終わってるとしか思えないんですよな。事象の評論なんかしないで啓蒙しろよコノヤロウ、妙なターム設定やレッテル貼りなんては啓蒙じゃぁねぇよ、と思ったりもするんですよな。ええ、凄い投げ遣りなのは承知してますが、現実にコミットしてようとしてなかろうと、まずある現状から語ってたってそれが一体何なんだと。
 
 結局相対化は理屈の上のものでしかないから無限の個による相対化の果てには思想っか個は荒野に散らばる点にしかならかったじゃぁないですか。サブカルなんてのはメインがあってこそ成立する概念の筈だし意味もそれでしか成立し得ないのに、なし崩しの相対化による消費をしまくった挙句の荒野の只中、「理」屈を並べてみたところでそれが一体今の、この日々の生活の何の役に立つというのか。テクノロジーの進化はあれど、結局人の生まれが変わらない以上、不合理だろうが体系化出来なかろうが矛盾してようが人という生の「理(ことわり)」ってのから追っていかなきゃぁ言葉遊び、トレンド分析以上にゃぁならんでしょうに。広告マーケティング以外の、消費として、ではない「思想」ってそういうもんじゃぁないのかなぁ… 勿論、その「理」の先の想って事での「理想」があってこその筈なんだけど、現状なり情況なりの分析や断面の提示程度だったら文学や演劇や映画やマンガがやっちゃっているんだからわざわざ思想書を手にする必要性を私は全く感じないんですよ。礎、立脚点でもいいけど自己確認行為っか自省っか自己検証があってこその他者、であって、物語にしろシステムだのツールだのはその後じゃぁないんですかいのぅ… それが出来てからの社会、体制ってのを目指す為の… ってのなら兎も角、そうではないんなら、学者ではないし情報で食ってるワケでもない身としちゃぁ現在の思想界なんてのは私にとっちゃぁどうでもいいし、気になるだけのモノだとはとても思えないなぁ… っと。
 
 そうではない思想書ならば読んではみたいんですけど、ね… でも下手するといまだに浅田彰とか持ち出さして来られそう、って偏見があるんですけど、そこいらはどうなんでしょうなぁ… まぁ、どうでもいいけど。