『ハウルの動く城 (2004)』

 
 小津にしろ黒澤にしろ、巨匠と呼ばれた人の老後というのは実に困ったもんで、気力も体力も無くなってきているからと自分のやりたい事のみの羅列で投げっ放しってなのをしても誰も注意も忠告も出来ず、下手すりゃぁ「難解だ難解だ」と有り難がる馬鹿まで出てくるものだが、本当に難解である事と語る事に対していい加減になってるのは違うんじゃボケ、っと思うUSA-Pであります今晩わ。
 
 しかしまぁフェリーニみたいな豪快な投げっ放しをやりつつ「だって人生ってそんなもんでしょ?」っとニコニコされるのは許すも許さないもない、ジジイって卑怯だなぁ(笑)って素直に思えるものですが、単に不親切&自己整理がついてないだけの事を難解だ芸術だなんて馬鹿やってるゴダールとかは大嫌いなんですよね… ってのは前置きであり今回の感想でもあるのですが。
 
 観終えて妻と語って出た結論としては
「相変わらずの宮崎駿作品である。でも、体力は無くなった」
 ってのであります。
シーン毎の出来・不出来が物凄くて、やりたい事に関しての動き&画面の密度の凄さはハンパねぇ一方で、やりたくない事に関してのスカスカさ&おざなりさ加減の露骨さや、キャラの顔が演出的ではなく、作画レベルでコロコロと変わって安定してないのも込みでホント、いい加減っちゃぁいい加減になっているんですが、しかし説明はちゃんとしているし何よりも作品と言うべきか物語と言うべきかはちょっと判断し辛いんですけど、【語ろう】としている意志はちゃんとあって実際語ってるんだから生半な事じゃぁないですよ。多くの巨匠と呼ばれる人達が出来ない事をやっていて、確かにバラつきはあったにせよ【味】【雰囲気】で誤魔化さないで場面としてはちゃんと凄いものになっているなんてねぇ… 本来だったら大友克洋が継ぐべきはこういう事だった筈なのになぁ… ってのは閑話休題
 
 元々、活劇の為の理屈、理由付けとしての「悪」や「戦争」やら、ってのはあっても、宮崎作品にはテーマやテーゼ、メッセージなんてのは無いんですよ。その意味で、本作はとても宮崎駿という人間のやってきた事、やっている事をよく現わしているんで長く観続けてきた身にはとても解り易いんじゃぁないんでしょうか。逆に言えば、理屈、理由に拘らなくなってる分だけ堂々としている、とすら言えるんですが、その居直りっぷりに達するにはやはりそれだけの時間っか加齢があればこそ、だったんでしょうな…
 
 無理にメッセージをやろうとして物語だけでなく作品まで矮小化してしまった『もののけ姫』なんてのはスピルバーグにおける『フック (HOOK(1991))』みたいなもんで、あれを観た時は凄く寂しく思ったものです。無理にテーマやメッセージを語ろうとしたって、当人にそんな政治意識も思想も無いのになんでこんな無理をしなきゃならなかったんだろう… 辻褄合わせの為に動きも絵もキャラも何もかもボロボロになっている様には本当にガッカリしたものです。
 それが『千と千尋の神隠し』になったら復調はしていたもののしかし… あの作品って老人のイジケ根性みたいなのが出ていて、子供の描き方が戻った分だけ余計にイジケ部分… 老人は語る事が出来ても子供と最後まで関るだけの体力も気力も無いんで見守り、見送る事しか出来ない… ってなのはどうよ? って思ったんですな。過去の作品の老人達が憧れであったのを自分が老人の立場になった今やるのは厭っか気恥ずかしいのかもしれんけれど、そりゃねぇでしょ… 過ぎた中年を振り返り懐かしみつつも、もぅ戻れないのは解っていても尚、って意気あればこそ『紅の豚』は素晴らしい作品だったのに… とか思ってましたし、だからこそ
「ひょっとして宮崎監督はもぅ作品づくりはしたくないのかなぁ… 」
 ナドとも思ったりもしましたが、『ハウルの動く城』において、やっと居直れたようでその点でも実に楽しい作品だと私は思えたんですよ。
 そう、この作品でストーリーが解らない、とか言ってるのって基本的には子供だと思うんですよ。物を知らない、って点もそうなんだけど、老いを頭ではなく体で知らないって点でも。女性主人公でも女性が描けないし描く気も無い、って点では昔からそうなんですがいわば『アメリ』と同じようなもんで、そういう形式も解らないんじゃぁ説明されたって理解出来ないのもしゃぁないだろうなぁ…
 
 もっと厭世的な作品かと思ってたのに、何ですかこの居直りは!(笑)
 まだまだ出来る事はあるし、やれる事はやるよ、って意思表明!
それでいて投げっ放しをしないで語ろうとし、そして語れているんですもの… やはり天才は巨匠に勝るもんなんですな… 勿論、それは庵野や押井らが怠慢ぶっこいてるのもあるし、まだまだ宮崎氏に意地や負けん気を起こさせるだけの監督が実写も含めてそうはいない事実を思うと不安にもなる部分ではありますがしかし、次回作は劇場で是非観よう! っと思わせるくらいに能弁ではあるが饒舌でない、見せはするけど台詞で語らないし説明しないって実に立派な、今時では実に古風な「映画」ではないかと思いましたよ〜。
 
 ま、以下は余談なんで御時間のある方だけ…
 
 名作と呼ばれる作品ってのは映画に限らず本や舞台とか、まぁ色々ありまさぁな。でも、名作だからこそ万人にとって素晴らしい作品か? ったら違うワケで、それこそ教養や知識や感性が無いと理解出来ないって部分はありますし、それ以前に
「子供が観たってしょうがないもの」
「若者が観たってしょうがないもの」
「大人が観たってしょうがないもの」
「老人が観たってしょうがないもの」
 ってのもあるんですよな。
たとえ名作と呼ばれていようともその年齢層、性別以外には観てもあんまり意味が無いもの、理解出来ないもの、ってのは当然あるし、『時代』に沿いすぎた・『時代』に向き過ぎたが故の名作を予備知識があったって観てもしょうがないものだってあるんですよ。
 
ハウルの動く城』の場合、若者が観たってしょうがないものだとは思うんですよ。まして名作だとは私も思えませんし。だけど宮崎監督が常に万人向けの作品を作ってきたワケではないのを考えれば、若者がブーブー文句をつけてる様ってのもどうよ? って私には思えるんですよな。自分が理解出来なかったからというだけで駄作だ失敗作だ終わったと言い募るのって恥かしくねぇんですかのぅ… って思いません? それも若者が、ならまだしも、大人や老人と言われる年の人まで言ってるのは、チョイと情け無い話だと思うんですけどねぇ…  とは思うんですが、あまりにも自分が理解出来ない事に対して自分の読解力の低さを棚に上げておいて貶してたってしょうがないし、そういう連中が持ち上げてる過去の宮崎作品の一体どこを、何を観てるんだ? って話ですよ。ま、映画に限った話でもねぇですおけどね。