言葉。

 
 大昔、私が子供の頃にスーパーカーブーム、ってのがありましてな。
ランボルギーニフェラーリだポルシェだと、基本的には海外・欧州のスポーツカーに対してのブームでありまして、『サーキットの狼』等のマンガだけでなく様々な雑誌での情報コーナーやグラビア、そして子供向け番組でも実車のゼロヨン対決とかしたりしていたものでございます。当時の私は既にBMWのどっしり&がっしりした車が好きではありましたが、それでも美しいフォルムや当時の日本車では太刀打ちできない塗装の色の鮮やかさ等に目を奪われてはいたのですが… しかし、自分がそのスーパーカーを買ったり日常的に乗れるような環境&身分でもない、って以前にそもそも運転免許すら無い小学生が、雑誌やTVの情報をベースに
「直線なら絶対カウンタック!」
「レースならフェラーリだって!」
「最強の車は… 」
 っとやりあっているのはどうにも駄目でしてな…
今ならば「結局、数多ある情報の中から適当に自分の好みや願望、妄想で抽出、加工した程度の検証無きデータ、根拠なんかで議論、比較しあったってしょうがねぇじゃん」って言えますが、まぁこういう事をしたがる人ってのは意外にいるもんで、別に車に限らず
「誰が最強のプロレスラーか?」
「一番強い格闘技は何か?」
「歴史上最も偉大な人物は誰か?」
 ってのを冗談や軽い話題ではなく真面目にやられるともぅ私は白けてしまうんですよな…
議論や比較検討そのものが悪いワケじゃぁねぇんですが、但しそれには議論、検討になる為の前提条件を守りつつ双方に建設的意図のある場合に限って… 着地点は設定してなくていいけど方向はあるべきで… とか出来ていればであって、ただ為にするってのですら嫌な私からすれば、その話題を借りた自分語りのズリセン、排泄、自己存在確認行為になんか付き合いたかねぇんですよ… まして、それに根拠も証拠も検証も無い憶測や妄想やらだけ、なんてのはねぇ…
 
 勿論、
いくら根拠も証拠も検証もあっても、それを語る言葉が閉塞し、硬直し、慢心した自分語りの言葉でしかないって場合もありますし、憶測や妄想だけの電波文でも読ませてしまう面白さのある【語り】の出来る人もいるじゃん、って事くらいは承知してはいますけど、ね。