願い。

 
■[CD] ソニー・ロリンズ。についてid:cinematic氏から貰ったコメント、

 
 大体ジャズマニアとかいう滑稽な人種は往々にして語りたがりでまずそれが一番嫌なんですよ。演奏方法とかこのコードがどうたらこうたらとか、ジャズを聴く上で邪魔な事しか話さない。昔のジャズに縛られすぎて今のジャズを聴こうともしないし、やれ名盤だ歴史的一枚だ、と演奏している本人達の思惑を無視して語るから厄介なのですよ。もうね、暴論ですけどいなくなればいいのに、とか平気で思ってます(笑) 
 

 …ってのは自称ジャズ・ファンに嫌な思いをさせられた私には実に、実にその
気分はよく解るのだが、今の私にはもうちょっと違う印象がありましてな。今日
はその事について、つらつらっと書くですよ。ただ、本当にクソ長いんで忍耐力
と覚悟と時間のある方だけ
 
 スタイルとか演奏方法とかコードとか、ジャズを聴く上で押さえておく事自体
は悪い事でも何でもないと思うです。それこそ「目黒の秋刀魚」のようになって
しまうのはもっと滑稽なように、歴史として、基礎として覚えておく事は良い事
だとは思うのです。
 
 それと、擁護するワケではないんだけど、この10年くらいの間に録音&演奏
当時は幻の盤として聴く事が出来なかった音源が次々にCD化されてるのもある
んで状況としてはかえって今の方が昔のジャズを聴くのにいいんで、あえて昔の
作品を聴くってのも実は今の作品を聴くのと意識的に同じって事もあるかも。
 昔は今よりも流通も弱かったし、海外からの通販も手軽ではなかったしね…
 
 それとジャズ・ファンのオッサン連中の多くは過去に色々と情け無い事をして
いましてな、マイルスを尊びやる事なす事を肯定し、パーカーやコルトレーン
崇め奉り彼らこそがジャズだと、彼ら(ハード・バップ、ビバップ)以前のオー
ルド・スタイルを罵倒嘲笑しまくり、(当時の)同時代であるフリーを有難がり
エレクトリック・ジャズに喜び、フュージョンに騒ぎ… と新しいモノに次々と
飛びついて誉めそやしていたけれど、結局、それらは流行りモノでしかなくアッ
という間に廃れていってしまい、気がつけば過去からの伝統に帰ろうというウィ
ントン・マルサリスみたいな先祖帰りが出てきた事で、結局、演奏やフレーズ、
メロディなどのジャズである為のものは、パターンは出尽くしていた事をつきつ
けられてしまったのね。だから現在の新作はカヴァーを聴くようなもの… って
気分もあるのかもしれんし、新しいモノに臆病になっているってのもあるかと。
 
 しかし、そういった事を差っ引いたとしても、私には疑問があるんですよな。
「何でその時のドジや馬鹿だった、恥かしかった事を無かった事にしてるの?」
 って。
「何故、その過ちに対して謙虚になれないのか?」
 って。
「現代の作品を、同時代であるが故にその情報の多さから過大に評価する愚を犯
したのならば、何故現代に、ちゃんとした語り部としての歴史を、自分の青春や
過去の言葉ではなく、今の言葉で、今の場で伝えようとはしないの? それだけ
の蓄積がある筈なのに、何故?」
 って。
 
 現状から見れば、
ジャズを聴くというのがファッションでしかなかった、としか思えないんよ私。
そうでなければ閉塞したオタク連中と何ら違わないお仲間・お友達ごっこの為の
ツール、触媒がジャズであった、というだけなんじゃぁないの? だから相手を
見れずにの自分語りと知識をひけらかす為の言葉でしかジャズを語れないんじゃ
ないのか?
 … ってのは厳しいかもしれんけれど、
「あんたらいいトシぶっこいてんのに何やってんだ。
 プレイヤーの想いや情熱は、演奏そのものもどうでもいいかい。」
 って、物凄く、気持ち悪いし腹が立つ。
 
 日本でのジャズ喫茶のブームは60年代だけど名盤なんて呼ばれるモノの大半
が50年代に録音されてるものばかりで、それを20代の連中があぁだこうだと
語り合っていた様なんて、免許も取れない小学生が雑誌で仕入れたスポーツカー
の情報を元にした脳内シミュレーション比べや薀蓄語りをしてるのと何ら変わら
んってのに、現在を是とする為に過去までも是としているような、そんな大人は
ジャズ・ファンに限らず… 格闘技でも映画でも小説でもマンガでも何でも構わ
ないが… 居直りの如きその様は、己を省みない無恥さ、他者を認識出来ぬ閉塞
さ、それでいて卑屈で、故に傲慢で… ってのは私には醜く、卑しいものでしか
ないんですよ。
 
 何故に
何故に、楽しさを、ジャズならではのスゥイングを、切なさを、力強さを、美し
さを、色気を、ヤクザさを、知らぬ人や、知りたいけれど右往左往してる人に伝
えようとはしないのだろう。貴方達とて初めは素人だった筈で、苦労も失敗も素
敵な出会いも感動もあったろうに、何故、何故に、それを伝えようとはしないで
オタクよろしく知ったか比べに汲々としているのだろう?
 語るのも言葉だが伝えるのもまた言葉ではないのか?
 
 
 
 … っと、書くのも話すのもまた言葉である、って事に物凄く悩むんですよ。
 
 オッサン連中がオタクよろしくやってんのって要するに楽だからなんですよ。
解ってもらう手間もいらないし、相手の事を測ったり考えたり試してみたりしな
がら言葉と素材を選んでみたところで「他は我ならず、我は他ならず」だから必
ず伝わるとも限らないし、こちらが望むように伝わったり感じてくれるワケでも
ねぇじゃねぇですか。コミュニケーション能力と本人の度量、力量を試される訳
だからシンドイ… って人が
「解る人だけ解ればいい」
 ってするのも要するに逃避や言い訳なワケで、
「理解しようとしない人に無理強いはしないが、理解しようとする人にはヒント
でも手がかりでも参考でも何でもいいから、伝えようって気持ちだけは、書く以
上は、話す以上は持っていよう」
 ってな想いが一応あるんですが、書くのも話すのもまた言葉、ですがな。
 
 私、意はれど、力及ばずだよなぁ… って忸怩たる気分が昨日とこの記事なん
ですよ。だから「敗走」ってしてるワケで(苦笑)。
 
 でもね、馬鹿や寄生虫やクズや下衆、野郎治郎を糾弾したり批判したり笑い飛
ばしたり断罪するのって簡単なんですよ。だけど自分がそうはならない為の精進
ってのかな? をしねぇと何れやってる事に大差無くなるんですよな。
 だけど、それは日々継続して積み重ねてやっていった結果でしかなく、その継
続こそが歳をくって、体力も気力も脳細胞も落ちてく中では凄くシンドイ時とて
あるんですな。自分の間違いや誤りや誤魔化しを認めてそれを改善していこう、
なんてしていくのにも気力と体力が必要で、一般的に年寄りってのが我侭か頑固
か事なかれかのどれかになるのってのは,正に体力も気力も無いから、って一面
もあるんですよ。
 で、まぁ私もオヤジになって、それが解るんですよ。甘んじはしないけれども
低きに流れて怠惰になりたいという気持ち、誘惑、面倒臭い気分ってのは感じる
んですよな。まだそうはならないんだけど… しかし… っというのを日々思い
悩み考えてしまう中で、どちらの側の気持ちとしては解っても、しかし、どちら
かというのだけでは不毛なんじゃぁないかな? っとオジサンは思うのです。
 
 自信は過信ではないのか。
 たまたま、己の見てきた、付き合ってきた「世界」が狭いだけではないのか?
 
 だからcinematic氏、いや、こんなトコまで付き合ってくれてる方々、
「そういった大人にはなりたくはない、絶対になりたくはない。」
 っという気持ちを忘れないでください。でも、それがただ他者の否定や拒否で
自己の是、正義としていては何れ同じ道行、行き先にしかなりませんよ。
 誰だって、産まれた時からオッサンやババァなんかじゃぁない。
 でも、そうなってしまうのは、結局そういう生き方しかしていなかった結果、
なんです。
 
「自分は違う、そうじゃない!」
 っと言ってる人は多いけど、ハタから見れば有象無象の呉越同舟げになってる
くらい人は強くも優れても特別でも個性が才能があるワケでもねぇです。 
 
 だからこそ、今の気持ちや想いを忘れないようにしてください。
 自分に言い訳や嘘や慰めを言う事なく、責任転換や非難も含めた誰かに頼る事
でしか自分を見れないような人間にもならぬよう、頑張って。
 悪い見本は私も含めていくらだっているんだから、
 そうはならないように頑張って。
 良い見本だって一杯いる筈なんだから、そうなるように頑張ってくれ。
せめて、少なくとも、今のオッサンやババァみたいな連中だけにはならないで…
 
 くたばるその日まで、時間が流れいている限り、
 迷い、悩み、足掻き続けるしか道は無いんだから、頑張れ。
自分に言い訳や嘘をついて自身を曲げるな、折れるな、貶めるな、卑しめるな…
 
 
 
 …と、長々と私の願いを書いたがそれも言葉。そして今日も敗走(爆)。