ソニー・ロリンズ。(チョロっと追記)

 
 その昔、
死刑台のエレベーター』のサントラがカッコイイと思って調べると、マイルス・デイビスという人の演奏でジャズとかいうものらしい、ってのを知って2、3枚聴いてみたんだけど、どうもトランペットの音が性に合わないのと、なんかストイックさが先に立ち過ぎているように思えて。
 その堅苦しさとジャンルの広大さに迷ってジャズが好きだと言う人に教えを請う事にしたのが、これが今から思えば大間違いで、時代のせいもあるけれど、やれ、パーカーが天才でコルトレーンは神様、っとギスギスしてるだけのサヴォイ盤やら『A LOVE SUPREME』とか聴かされて、すっかりジャズとジャズ好きが嫌いになる私に自称ジャズ好き共らはせせら笑って
「まぁ子供には解らんよね」
「コレの良さが解らないんじゃジャズを聴く資格も素質もねぇよ」
 っと言ってくれたもんだが今なら言える。そんなのは大間違いだ。
 そんな輩はズリセンしまくった結果の感覚麻痺の包茎野郎と一緒でクズだ。
無論、ジャズ好きだからといってそんなクズばかりではない筈だが… っと色々な入門書や専門誌を見ても黴くせぇ全共闘くずれのオッサン連中の言葉遊びばかりでちっとも聴きたくならなくて一層嫌になった10代のUSA-Pではあったが…
 
 そりゃまぁ人間には生きている時のリズムってのがあって、10代では合わない音も音楽もあるだろうし30代には合わない音楽だってあろうよ。それこそ子供にビールには苦味しか感じないが、だからといって子供の時のジュースの美味さを大人がシタリ顔で… スーパードライドラフトワンを飲んでて悦に入ってるようなオッサンらが… 笑えれるもんなんだろうか? 素質云々を言うのならばジャズというのはそれ程に特殊な、選ばれた者にしか解らない音楽なのか?
 
 もしあの時、

 マイルス・デイビスなら『サムシング・エルス』だったのなら、
 チャーリー・パーカーなら『ウィズ・ストリングス』だったのなら、
 ビリー・ホリディではなく、エラ・フィッツジェラルドだったのなら、
コルトレーンではなくソノー・ロンズだったのなら… あ、出来れば『ヴィレッジヴァンガードの夜』ではなく『サキソフォン・コロッサス』か『ウェイ・アウト・ウエスト』でね…
 
 …ナドと『Tenor Madness』を聴きながらボンヤリと思う。
1曲目、友人だったというコルトレーンとの競演になっているが、聴くまでは
「こんな素人に、同じテナーサックスなんだし、どちらかなんて解るのか?」
 って疑問もあったが杞憂だった。
 一発で解る。ロリンズは素晴らしい。
切なく、優しく、楽しく、レロレロレロやんなくったって素敵に伸びるテナーサックスの音色の美しさと太さのなんと素敵な事か。心が溶かされる、とは言うが正にその通り。レロレロレロピロレロバホボヘーってやんのがジャズ、なわきゃねぇじゃん… っと、まぁ今こうやってロリンズの巧さと繊細さと演奏する楽しさと太さに満ちたアルバムを聴けるんだから回り道ではあったかもしれないが結果としては悪くないのかな、とは思うけれども、それは別に誰かの助けがあったワケではなく自分で辿り着いたからこそそう思えるだけなのかもしれんが。
 
 色々と聴いていっての結果がコルトレーンだろうがウィントンだろうが誰になろうが、それはその人の嗜好であって全然構わないんだけど、右も左も前も上も下も解らないような時に、前衛過ぎるのやジャズの歴史的価値って点だけのモノや無骨なんじゃなくて粗忽なだけのや、いくら名演奏でも収録状態がデロデロのヨレヨレでノイズだらけのライブ盤やキツイ、厳しいものばかりを薦められたら嫌になるってぇの。
 解った上で楽しめる世界があるのは事実だが、勉強でも山手線ゲームでもあるまいし、無理矢理活字の知識での薀蓄や能書きや講釈を覚えさせられた上での観賞なぞ私は勘弁、ですなぁ… マニア同士なら兎も角、最初から最後まで聴いていて辛いだけの音楽をずっと聴き続けていられるようなマゾじゃねぇよ…
 
 
 
 …っと、
この記事にインスパイヤされてつらつら書きはじめてみたけれど、まとまらない以前にそもそもジャズをロクに聴いていないわ、元記事にはとても及びそうにもないので敗走。故にオチは無い。