書いていてやっと自分が納得した。

  このちぐはぐさは何なんだろう?
映画の規格としては凄く真っ当だし、メイキングのあまりに下手
なゴーゴーがカコイイものになっているのも含めて編集もカメラ
も実に一般、メジャーなんだけど世界観や美術があまりにマイナー
過ぎて…
「チープさを出したいんならカッコ良過ぎるし、チープに徹する
にはあまりに手間も予算もかかってるのが見え過ぎるし…
 どうしちまったんだ一体?」
 って思っちゃんたんだよ、だって私は『KILL BILL』、
「マカロニ・チャンバラな世界観で女が斬りまくりの復讐、って
映画を作りたかった」
 と思っていたからだったんだが…

 書いていてやっと気がついた。
 おそらく彼のベクトルとしては
「自分の中のカッコイイとかCOOLなモノとかを思うだけ、
思いのままに、自分の好きなように積み上げてゆく」
 って事こそが「したかった事」なんじゃないかな? って。

 彼のスタイルを振り返ってみれば、時系列イジリはともかくと
して、画面構成やカット割り等自体は、極めてオーソドックス、
というか馬鹿丁寧で基本(スタンダード)至上主義のような印象
さえ感じられるんだが、『KILL BILL』に関して言えばそういう…
これ迄だったらカットしたり変更したり無かった事にしたり台詞
だけで済ますしか無かった事… に(あまり)とらわれないよう
にして、帰納法ではなく演繹法的に積み上げて作った… だから
こそ、緻密に、それこそ執念と情念を込めて、徹底的に、お金も
手間も暇もかけてああいう世界観を作り上げた… と、
 思えば物凄く納得しやすくなった。

 考えてみればタラ公だ。
メジャーで配給しようが予算がメジャークラスであろうが、彼の
元々の意識(っか目線の先)はメジャーだったんだし。
 環境のグレードアップで意識が今更変化するようなタマでもなし。
彼は、マイナーな表現をし続けてきたが、それは予算的な事だけ
ではなかった、ってのを思えば全然、変な映画じゃぁない。
 要するに、彼らしい映画、彼だから作れる映画だ、と思えたんよ。
(続く)