『君の名は。』

 

  • 公開から約半年経過したこの時点でも公開されている、ってのが興味をそそって。
  • ただ、これだけヒットしているって情況については前印象としてはネガティヴ。元々新海監督作品の”世界”を中心とした映像は凄いと思うも物語としては嫌悪すら抱くもので、多分『秒速5センチメートル』以降は観てなかったし、大ヒットで話題で全く知らなかった妻と一緒に観た『Z会 「クロスロード」』にしてもゲンナリしたってのが正直なトコで。
  • あと、一大ヒット、って点で『アナと雪の女王』を家でレンタルで観て「なんじゃこれ」、ネットでは話題だという『逃げ恥』にしろ『真田丸』にしろカッタルイ、って思ってしまうような夫婦なので、「一体どこがどう世間に受けるのか」=「これが受ける世間はどういうものだろう?」って意識だったんですけど…
  • 面白かったですね。っか、これ劇場で観ないと意味が無い。
    • 真っ暗な映画館の大きなスクリーンで、アニメでしか出来ない、リアルなCGでは駄目な夜空を見上げるという感覚からくる映像への没入感に値打ちがある。まずそこを語るべきであろうに、そういう評論や感想を見ないのはどういう事なんだろう???
    • 風景を、”世界”を大きく広く見せていてくれる、それだけでも十分、映画館でこそ観るべき映像になっている。これ、今の実写邦画がタレントアイテムになっててクローズアップショットとだらだら台詞で説明していく、別に映画館で観る必要が無い映像になってるのが主流になってるのと比べると段違い。製作者らがキチンと様々な映画を観ているからこそ出来た事で、それが出来てない映像作品がなんと多い事か! 映画館で上映したら映画じゃぁないんだよ…
    • 映像の情報量自体は、それ程無い。密度はあれど、ならば人物の塗りとデザイン、そして動き(アニメーション)がリアルではないってのは=その必要が無いから。人物の動きそれ自体は記号的というか、既視感のあるそれ自体に映像としての快楽は薄いんですよ。監督が現実をそう見ている・見えているんじゃぁないのよ。と言って押井守のような為にする饒舌な装飾では無いのは”物語”を見れば解る事。
      • でも、装置としての映画館である、なければならない必要はある。意図してそうやってるのは凄い。
  • あと、テンポがとにかく良い。お話としては相当に荒いっか粗があるけどそこを勢いでどんどん進めていくところは本当に上手い。”世界”にしろ”物語”にしろ、主人公二人の心情の為にある装置でしかないのがブレないんだよね。
    • だってさぁ、「高山」「東京」って出てるけど現実のソレではないんだし、んな事言ったら「1200年周期で3回同じ場所に隕石が落ちる」ってのがリアルな訳ないじゃない。新海監督作品って言うとリアルな情景描写みたいな事を言われてるけど、何の為か?って部分を置いて言ってもしゃぁねぇじゃん。
      • だからまぁ、流星など事象はほぼ全てメタファーとかなんだろうね、とは思う。
  • とはいえ、正直なトコを言うと、歳を重ねる事で生命力や彩度が落ちていく感じがなんか… 特にラスト、そこまで学生時代が良かったか?と思ったくらいの落とし方が、個人的にはどうも。とはいえ、本来観るべき10代の若者らにはこれこそが、それもまた、リアルなんだろうかなぁ…
  • 10年代の今、そこに描かれる感情がリアルとして、世界各国で伝わっている事をどう考えるのか? って部分は正直お手上げ。オジサンで、アラフィフの私らがリアルを感じれないのはまぁ当たり前なんだろうけども。
  • うん、結局、娯楽と言われる映画作品であっても辛気臭い、しち面倒臭い”リアル”に疲れているのかな?とは思う。
    • んでもって、気になる点としては主人公二人の世界の狭さ。そこに善悪もいい悪いも無い。正義も悪もない。聖も邪もない。だから他人だけでなく自らの承認も、確認も、根拠も、理想も、目的も、担保も、逡巡も、一切無し。友人も家族もいても、自分達二人の為の役に根本的な部分では立ってなくて、事の成果は二人が出会う事、ってなんか凄い。社会も、時代も、情況も、究極的にはどうでもいい、って言い切ってる。そんな事より君が全て。二人だけのこの万能感っか満願感っか全能感をリアルとして共感なり支持をされる現代社会ってのはどうなんだろう? 正直、サッパリ、解らない。その根拠が「好き」ってだけなんだよ!?
    • 相手の肉体も生活も何もかも手に入れて享受しておいて尚、「君の名は。」なんだよね… そう、「君の名は」でもなく「君の名は?」でもなく「君の名は…」でもなく君の名は。なんだよね…
    • そういう点では『サマーウォーズ』は00年代の映画だったんだろうと思う。チートだらけの登場人物ん中で主人公が一番チートで家族万歳、って承認を強要して閉塞する物語が大嫌いでしたね… ネットを扱いつつ有象無象の養分扱いってのも込みで何様なんだと、畢生してろと唾棄したくなりますから… ってのは兎も角として、かの作品でのネットワークは世界という広大さと可能性を現わしていたけど、もぅその広大さに自由や可能性を現わすものではなくなってしまった現在はSNSという非常に限定的なものになり、スマホも連絡ツールと検索以外特に無いってのが本作なのは時代の変化なんだろうと思う。アバター(外部があるからこその装幀としての存在)すら無用だもの。
  • もう1つ、矢鱈と戸や扉が閉まるシーンが出るが、本編的にはそこに特に意味が無い、ってのもポイントかと。最初、あまりに出るから場面転換(で進行)のお知らせ? 心情の比喩? 時間軸(情況)の変換の現わし? とか観ていて考えたんだけど、ここまでダラダラ書いててやっとこさ、「二人」と「それ以外(世間、社会)」を現わしていたに過ぎないんだろうなぁ… と思う。すげぇ、あんなに会話してないのに、自分たちの感情だけなのに。私は流石にもうちょっとコミュニケーションをとらないと駄目っか妻に「石橋をたたいて壊す」って言われるくらいに慎重っか臆病で猜疑心まみれなもんで、それこそ若さなのかなぁ… とも思ったりもする。
  • …などと、色々思えるのはこの作品が確実に時代の気分を切り取っているからなんでしょう。それぞれの好み、好き嫌いはあるにせよ、それだけは確かだと思う。如何なる情況になろうとも意志を持って進む、という物語のシンプルさを支えるのは自らの内から湧き出でる「好き」という感情のみ、ってのを2時間みっちりとポップなままにやり切ってしまった凄さったら。
  • これが、10年代なのか? 解らない。でも、アメコミのヒーローですら… そう、デッドプールですらその存在と戦闘には理由、ロジックが必要だったのを思えば古いのかもしれない。これだけ突き抜けていった作品、ってのは正直ちょっと他に思い当たらないですよ私では… というのも併せて、今、映画館で観ておいて良かったな、と思いましたよ〜 正直、来年の、早くて春、遅くて夏以降?って言われてるBlu-rayでは時期を逃すだろうし、仮にプロジェクターで100インチって視聴環境でもあんまり意味が無いでしょう。冷静に、自分一人で、じっくり観る作品じゃぁないんです。大抵の映画がスクリーンの大きさと環境で映画たりえるものになっているのとは違うのです。これは、自分以外の他人がいる映画館って”舞台装置”で、大スクリーンと大音量って環境で観るしかない作品だと思いますよ、っと。じゃなきゃぁ既に違法データや海賊版が出回りまくっている中国ですら大ヒットになってるんじゃぁないんでしょうかね…