”地上の星”だった王子様は、”星の王子様”になってしまった。

 

 
切っ掛けは、FMラジオで聴いた『1999』で確か中学生の頃だった。その後深夜のMTV番組で観たPVはイマイチだったけど、2枚組LPのアルバムの濃さとエロさが中坊にはとっても刺激的で、そこから遡って… ってのがスタートで。『パープル・レイン』は地元大垣では上映されなかったから、確か岐阜にまで観に行った。「プリンス(笑)」がデフォの時代。同時代の黒人スターではマイケルの方がずっとファンが多かったし聴いてもいたけど自分は性分的にプリンスが好きで。大学時代、友人のO氏がプレゼントしてくれたお蔭で1989年2月7日の名古屋レインボーホールが人生初体験のライブだった。めちゃくちゃ興奮して、一ヶ月くらい『LOVESEXY』だけ聴いてた。
 

 
その後が『BATMAN』だからひっくり返ったのもいい思い出だけど。
 

 
声質が好きという訳ではないし、ファッションゲイ的なのも駄目なんだけど、なんでも出来るからこそ何物であるのかと己に問うているようにアルバム毎に変わるのが楽しかった。それもほぼ、毎年だもの。しかし、彼が結婚する直前の、具体的には『The Gold Experience』以降コンピ版やベスト版が増えていき、結婚後は明らかに落ち着いた彼の作品はどうも個人的にはピンとこなかった。それでも長年聴いていただけに新しいアルバムが出る度に、それがNPG名義だろうがとりあえず買ってはいたけど、折しも私が家庭っか一族のドロドロに巻き込まれ、会社が吸収合併されて職を失うかもしれない頃に後の妻となる彼女との出会いって身辺がグッチャグチャになってる頃に出た『Rave In2 The Joy Fantastic』にイラっときたんで初めて一回しか聴かなかったんだけど、その翌年の『The Rainbow Children』のゆったりとしたジャジーな曲に完全にカチンときて… やってみたかったのは解るんだけど、ジャジーならジャズを聴くよ!な私には、どうも… って以降、彼の作品を手にする事はしなくなって… うん、やっかみ、っか八つ当たりなんだろうけれど、すっかり落ち着いた殿下の落ち着いた曲が、どうにも合わなかったし刺激を、ほぼ毎年出るアルバムにあった時代のちょっと先感が、感じられなかったんですよ… じゃぁ、もぅ、いいや、と。それは自分が混乱した情況の只中にいたからなんだろう、とは思う。一族を引っ掻き回した祖母が死んだ年でもあったし。
 

 
youtube等で、海外の映像も楽に観られる時代になり、時折はチョックはしていたものの… うん、あえて避けてきた筈の黒人音楽の要素をファッションまで取り込んでのそれは、やはり私にはどうも求めるものではなく… と、書いてみると、14歳くらいん時から33歳まで、か。まぁ、ファンでは、ないかな…

 
 そして、”地上の星”だった王子様は、”星の王子様”になってしまった。
 
喪失感とか寂寥感を持つには、彼から離れていた時間が長かった。しかし、自分の生と死について考えざるを得ない検査通院を終えて、次の予定日と自分のこれから等を考えつつの出勤途中の信号待ちで暇潰しの流し見でのニュースのヘッダーで知ると、どうも、こぅ、なんとも。あぁ… と、思う。あぁ、と。生きている事と、生きていく事を、こんなに感じてしまうなんて。私と10歳も離れていないというのに。 
 
手持ちのスマートフォンやPCには『The Gold Experience』までしか取り込んでなかったから、これから残りを取り込みつつ聴いていこうと思う。帰宅後に自室の埃かぶりまくりのラックを探してみたらば『Crystal Ball』が見つからなかったが、部屋の何処かにはあるだろう。あぁ、海賊版のライブCDもこんなに持ってたんだっけ私。アレンジがほんのちょっと違うってだけでドイツ版のCDシングルとか買ってたっけ。とりあえず、手持ちの素材は聴いていこう。今の私には、どう聞こえるのだろう? だけど『COME』と『Chaos and Disorder』は勘弁な。