雑感。

 

 
・客席ガラガラの寄席で落語家が言った粋な一言
http://www.meitai.net/cont/shiganai/2008071511.html

 

 なんか『はてなブックマーク』の方では概ねこの噺家さんの対応を誉めているのだが、この中で寄席なり落語会に行った事のある人ってのはどれくらいいるんだろう? と思う。
 
「その作家が主収入が講演ではない限り、同列に比べるのは間違い。」
「著名な作家は呼び捨てで、落語家は【さん】づけしているのは結局執筆者はどちらも見下しているのではないのか」
「本来、自己顕示欲の強い表現者を不機嫌にさせたのはお客の数だけ、なのか? 主催者側の不手際や尊大な態度や物言い等もあったのではないのか?」
「客を笑わせる事も芸人としては大事だが、それと芸の質・出来は別ではないのか」
「笑わせようが不機嫌な態度でいようが問われるのは中身ではないのか」
 とか色々他にも思うんですけども、しかしまず感じたのが個人的にはこの噺家さんの対応ってのは凄く厭味と言うか… 実際にその場で観てないと何とも言えないものの良くて私は噺家さんとそのポーズに素直に笑う他のお客さんも泣いた主催者にも苦笑ではないだろうか。場合によっては噺家さんに対して凄く申し訳無い、情けない気持ちになるだろうなぁ… と思ってしまうですけどね。まぁ少なくとも「粋」ではないな、っと。
 
 っかね、同じ言葉でも噺家さん、師匠方によって全ッ然意味合いが違うじゃぁないですか。それに普段、常設の小屋で客入りが少なく入っているのも業の深くて濃いめの人達が殆どの場所と、落語会、記事から察するに第一回ので、ってのではまた違うじゃぁないですか。大体、下手に出ているからといって必ずしもコチラを畏れ敬い奉り見上げているワケでもなかろうに…
 
 どうも私、根がヒネクレているせいか筆者が粋と評した言葉だって、もしかしたら
「大阪ではテレビの『ちりとてちん』の影響もあってどこでも満席です。なのに名古屋ではこうなんですね… 私が来ていてこんな珍しいことはないので」
 ってのかもしれんし、
「たいていの会は第1回は大入り満員。2回、3回とだんだんお客さんが減っていなくなってしまう。この会はこうして見るに関係者とその知り合いしかいないようですからこれ以上少なくなることはないから大丈夫やね。私はちゃんと仕事をしますから、貴方達もお客を増やしていくようにしてきましょうね」
 ってのかもしれないじゃないですか。
 
 
 
 考え方っか価値観の違いと言えばそれまでですが、浅草演芸ホールで決して皆質が良いとはいえない雑多な客を相手に気負わず腐さず自分の芸を見せて笑いをとっていた小柳枝師や鯉昇師や鶴光師って素敵だと思いましたし、『つぶしあい』9発目ん時の一之輔さんとか今日ここに来てくれたお客さんの為に、今日ここに来なかった人が歯噛みして悔しがらせる為に、ってな意地と気合の芸を見せてくれる噺家さんの方が私には好きですな。『江戸前かかみの寄席』のように主催者らが横柄で傲慢で思い上がったイナカモノでカチンときててもチクリと皮肉りつつもサラリと演ってみせた喬太郎師や、あまりにあまりなデコ助に憤ったのもあるんでしょうがそこで投げずに噺家としての責任と意地と矜持をその高座で見せた談春師とかカッコいいと思いますもん。
 
 確かに出演者には責任がありますが、客にも、主催者にだって責任がある筈っしょ?
事、噺家さんの修練なぞ知りようも無いけれども、客はそれを受け止めるだけの力が必要じゃぁないの? 主催側だって演者が力をより出せるようにする責任がある筈でしょ? 開けてから顔を真っ青にしてたって遅いんじゃね? … とか、なんかコレ、全部ズレてるとしか思えないんだけどなぁ… なぁんか
「コチラは客なんだから」
 ってのを言い募ってるだけなんじゃねぇの? で、自分が気分が良かったから褒めてやって、良くしてくれなかった自分よりも著名な作家の先生を落語家なんかと比べて腐してやった、って驕りにしか読めなくて不愉快なんですけどねぇ… ま、その落語会に行ってないんで何とも言えませんが、少なくとも私には「お上手」*1とは思っても「粋」たぁチョイと思えませんけども。
 

*1:関西の噺家さんがやるので「私の噺家人生において最大の拍手、ありがとうございます」系の掴みがあるじゃないですか。そういうのを思い出すんですよね…