『善意』。

 
 連休中は妻の実家・下関へと旅行をしていたんですが、妻の実家に行く前に結構派手に階段から落ちまして… 踊り場の無い真っ直ぐな階段をワンフロア分、下手すりゃ骨折やヒビどころか命にすら関わったかもしれなかったって事を思うと他人も店舗にも被害を出さず、右脚の筋を痛めた程度で済んだ事は僥倖ではあるんですが、杖を使わなきゃならんとか痛み止めを飲まなきゃならんって程ではないものの軽く跛を引く程度には痛む… という現状で。
 
 そんな中、今日は仕事でちょっと遠めの銀行に会社の書類の提出に行ったのですが、距離や勾配等のせいか若干痛みを強めに感じつつも各種届出窓口へと行くと、背後に案内係の人が立つんですな。
「何です?」
「いえいえ、さぁどうぞ」
 っと椅子を引かれて、そんなに悪い状態に見えるのかなぁ… でも、ここで無碍に断ってもなぁ… っと迷いつつも一応は善意のサービスであるし、っと言われるままに座ろうと椅子の前へと右足を出したトコロにズイっと椅子を出されて。軸足が左だから転ぶ事は無いけれど、痛む膝の裏側辺りにズイっと椅子が押し付けられる事はやっぱいいい気分がしないんで
「悪ぃけど、邪魔。」
 と言ったら物凄くショックを受けた後に、ガッカリした顔をされて…
 
 昔、
初めて入ったラーメン屋で注文したラーメンが出てきた時にドンブリに金属製のフォークとスプーンが突っ込んである状態で出てきて思わず店主の顔を見たら満面の笑みでコチラを見ていて困ったけれど、結局黙ってフォークとスプーンを引っこ抜いて割り箸を手にして割った時にやっぱりガッカリされたり、とか、まぁこういう『善意』を受ける事は時々あるものの、
「でも、相手をよく見ないで、ってのは押し付けなんじゃないのかなぁ… 結局は世の中にはそうやって健常者は障害者が黙っていても気を使って当然、って思い上がってる連中と、自分の判断や完成ややっている事は正しい!っと思い込んでいる人がいる、って事なんだよなぁ… 」
 とスッパリ言い切ってスッキリ気分でGoing My Way!ともれないのは確かに人様に気を遣われたりするのが悪いと思えばこそ言い出せないって人もいるんだろうし、そういう人達にとってみれば押し付けが自分の希望や要望とは違っていても代用なり代案程度であるならば… ってのでも多少は助けになっているんだろう事を思うと無闇矢鱈と否定してしまうのもねぇ… っと思ってもいるからで。
 
 んじゃぁ要望を障害者の側が言うようにし、健常者の側からも聴くようにすりゃぁいいのか?ったら先に書いたように手前ぇ勝手にどこまでも自己拡大解釈して
「シモの世話もするんだから俺の性欲の世話もしろ!」
 っとボランティアに強弁する障害者だっているし、本来の要・不要関係無しにただただ手前ぇの好奇心と自尊心を満足したいが為に根掘り葉掘り聞き出そうとする下衆健常者もいるから一律にどうこうって言う気も無いんだけどね… 殊更に、それが一応は、例え当人の鈍感さや似非でしかない卑しい心根の発露でしかなくても『善意』の形であるものであるだけに難しいっか面倒くせぇよなぁ… としか結論は出ないんだけどね。
 
 今回の事で言えば、例えば私が車椅子なら椅子をどけてもらう事は手間を減らしてもらう事だから感謝すべき事ではあるし。義足の場合はどちらとも言い難い気がするが… でも、杖をついていなくてちょっと跛ひいてる程度くらいではやっぱり余計だと思うし、相手をちゃんと見ていないで文字通り押し付けてくるだけの『善意』に対しては、日常生活に特に支障は無い障害者としては甘受、享受ではなくお断り、拒否をする方がまだマシだと今でも思うんですけどね… って事で、とりあえず、余計な気遣いを増やされないように普通に見えるべく歩いたせいで何か違うトコロまで痛むようになったし疲れた。でも、『善意』の気遣いのウザさに比べたら、ね…