「日記」

 
 ボツボツとDVDレビューを書いていて、ふと
「人種差別、女性蔑視、パクリ、思いつき優先で全体が見られない、って点
バリー・ウォンリュック・ベッソンは大差無いんだが、バリー・ウォン
の作品には本気で腹を立てる気にならないのは何故なんだろう?」
 と考えるに
「そうか、ペドであるか否か、か!」
 って仮の定義に達して一段落、っと思ったのだが…
 
 よくよく考えてみるにペドの傾向が如実に出ている監督ったら宮崎某氏や
押井某氏やポランスキーとか一杯いるけどべッソン程に嫌う以前だったり、
大好きだったり、って事で先の定義は性格ではない、って事になる事に達し
再びグダグダと考えるも精々
「フランス人であるか否か」
 とか
「宣伝費と能書きで騙せると思い込んでるか否か」
 とかぐらいで自分の中での決定打にならないんでもぅ
リュック・ベッソンであるか否か」
 でもいいんじゃねぇ? とか思うがこの定義の仕方と同じなのって大島某
くらいなのを思い出して、まぁ世の中には理屈ではなく生理的に好き・嫌い
って事もある、って何の論理性も無い定義に四捨五入して四十なのにいいの
か自分?とか考えてしまって進まなくなる火曜日。
 
 まぁこういう日もある。