何の約に立つ訳でもない、ただの中年の戯言。

 
「ここんとこ寒いから自販機で缶のコーンスープを買ったんだけどね… 最近のってホント、美味しくなったよね…」
 と妻に言われて昔を振り返ってみるに、確かに私らが子供の頃… 昭和四十年代から五十年代くらいまでは今に比べて物が無かった上にあまりいい出来とは言えない物が少なくなかった。例えば今でこそ色々なフレーバーの味がついたポテチがコンビニの棚にいくつも並んでいるのが当たり前になっているものの、カルビーから
「百円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで百円は買えません。あしからず」
 ってなTVCMでポテトチップスが売り出されたのが1975年(昭和50年)… 小学校の頃だが、今ほどには薄くなく油っぽい印象がしていたもので後に1979年うまい棒が登場した時にはその安さと味に大変感激したくらいで… っとまぁ書き出すとキリが無いのでここらで止めるが、そういう時代に特に私の住む田舎では不二家のケーキってのは都会への憧れ、文化ってブランドを背負ったモノであり実際にスーパーやパン屋で売られてるケーキとかとはイチゴの色や大きさ、スポンジやクリームの柔らかさ、そして箱やデコレーションも込みでのパッケージングが垢抜けていて小洒落ていて、実際値段が高いもののそれだけの物だと思えたし、駅前のパーラーのメニューの洋食も同様だったように思う。今でこそどこぞで修行したとかいうパテシエの店もこの田舎でも珍しくないし、洋食なんて言い方がちょっと恥かしいくらいにファミレスが当たり前にある頃からは想像もつかないだろうが、レストランはまだまだ日常的ではなく多分当時の一般的な人にとって身近な洋食と言えば喫茶店ナポリタンやハンバーグやサンドイッチだったんではないだろうか。そういう時代にホットケーキからオムライスだシチューだステーキまでがメニューにある不二家ってのは当にブランドだったのだろうと思う。高校生くらいの頃とかデートとかで利用する時に不二家ってのは「美味しいけど高い」って事でバイトもしてない脛齧りの身としてはかなりの背伸びでもあったものだが、思えばバブルの頃くらいからかつて不二家という名前に感じれた都会や御洒落さが色褪せてきてこの数年と言えば年に一度か二度、雪が降ってバスでの出勤となっての帰りにバス待ちの時間が中途半端にある時に「それじゃぁたまには…」って程度で家族にケーキを買って帰るくらいで、かつて背伸びして利用したパーラーなんざずっと行ってなくて。で、帰って家族揃って食べるケーキが決してマズイとは思わないしタカラブネ等と比べれば美味しいとも思うものの
「じゃぁヌーブとかと比べてどうよ? トルティエールとかとは?」
 と自分の中で地元パティシエ店と比べてみると
「まぁ不二家はそれよりは落ちるよなぁ… 」
 って思ってた訳で。
勿論ペコちゃんとかのマスコットやパッケージが子供向けに見えてしゃぁないからってのもあるしと色々な理由は挙げられなくもないのだが、やはり最大の理由としては『流通の整備』『技術の進歩』、コレこそが自分の中での不二家が過去のものになってしまった理由なんではないかと思う。
 
『流通の整備』ってのはもぅ単純で、今じゃ当たり前に買える物が昔は無かったんよ。パスタじゃなくてスパゲッティの方が一般的な時代ってのはスーパーにゃぁ豆板醤もオリーブオイルもバルサミコ酢も無かった。レトルトったらカレーで今みたいに丼の具やパスタソースやシチューもある時代じゃぁない。カップ麺よりまだまだ袋麺の時代だったし*1。低温殺菌もローファットの牛乳なんざ無かった。チーズったら三角形のが6個でスライスチーズやとろけるチーズなんかが出たら衝撃的だった。チョコは不味いんだけどナッツが美味いと思ったマカダミアンナッツ・チョコはハワイ旅行の御土産だったし、アメリカ横断ウルトラクイズがまだ憧れでもあったくらいに単純に物も情報も無かった。こんな時代だからこそフランチャイズか直営かは知らんがジャスト東京な不二家はそれだけでブランドたりえたが… ネットで海外からDVDを購入出来るこの時代に、まして全国どころか海外産地からの野菜がスーパーに並ぶ時代、東京という都会への憧れはあるにしてもそれを背負うのは最早不二家だけではなくなってしまったのではないか。スーパーでいつでもハインツの缶詰が買える御時世でわざわざお金を払って食べに行くだけの味がある洋食屋なんて田舎には殆ど無いし、あってもそれはもぅ不二家じゃぁないし、それはケーキでは尚更になってしまっている… こんな田舎ですら!
 
『技術の進歩』は冒頭の妻の言葉じゃぁないが、昔の御菓子はあんまり美味しいと思える物って無かったんよね。風月堂のゴーフルが高級洋菓子扱いだったが、子供の頃から中のクリームはあんまり美味しくないと思ってた。チョコの最近のバリエーションの多さと味の良さなんか想像出来なかった。昔の小説で読んで思い入れのあったハーシーズの板チョコを食ってガッカリしたものだが今から見れば当時の日本の菓子なんてそんなもんだったのと同様に、ケーキだって美味しいと思えるモノなんてそうそう無かった。ちょっと昔のマンガを見れば解ると思うけど、ショートケーキの上にイチゴが一個乗ってるのが充分おもてなしのケーキとしての「記号」「表現」たり得たんですよ少女漫画であっても。でも今時一個ちょこんとイチゴが乗ってるだけのケーキはもぅ高級でもおもてなしの「記号」たり得ない。スポンジの間が生クリームである事の嬉しさ… 昔はバターケーキかカップケーキがケーキだったんよ… と比べると、そういうケーキを成立させるだけの情報も材料も揃った上にそれをケーキとしての形にする技術が一体どれだけ上がったのか… コンビニスイーツなんか見ると本当に贅沢品だし凄いなぁ、っと今でも感心してしまうけれど、何もケーキに限らずポテチの薄さ、チョコレートのまろやかさ、キャンディの甘味料の後味、とか、昔からはちょっと想像がつかなかった今の時代に不二家がどれだけ対応していたのか? っとなると、材料だけでなくパイ皮やら素材も技巧も特出も特色も感じれないくらいに周囲が進歩してしまったのではないか。
 
 だから不二家なんか無くなっても構わない、とも思わない。今日の帰り、駅前のパーラーはシャッターを閉じていている姿を見ると寂しさも感じるし。でも、それは感傷なんだろうと思うように、無くなったからと言って格別に騒ぐ程には時代の変化と流通する物量と情報量が多すぎるし、何よりも子供の頃からの風景を失い過ぎてきている。それに私にはミルキーもネクターキットカットも甘過ぎて好みではない以上、感傷以上の物をこれからの不二家がどうなろうとも持ちようが無いだろうなぁ… っと思う。成長による嗜好の変化ではないから懐かしく思う事はあっても「食べたい」と消極的にも思えない。もぅいいでしょ、あぁあったあった、懐かしいねぇ、昔はね… って感じで。事件前からそうだったんだから。勿論そこで働いている人や店の人とかについては幾許かの情みたいなのはこちらも社会人だから感じなくもないしマスコミ対応を下手打ったよなぁとか思う事が無い事もないけれど、いくらかつての憧れであっても、それが私にとっては感傷でしかない以上はそれはそれだけにしかならないように思う。昔惚れた女が全員今もいい女である訳でもないし、まして懇意にしてもいないのにあれこれと思慕を思い出を語ってみせたところで相手が迷惑する。しないで喜ぶ相手なんて碌なもんじゃないし。振り返る、その事それ自体に良いも悪いも無い。ただ自分の現在の肯定や否定の為だけにするようなのはしょうもないじゃない。思い入れや愛情がこれまでも今もこれからもある人がする、それはいいんです。ただ自分が捨てた、忘れた相手を思い出したからと言って馴れ馴れしく寄ってみせる趣味は無いなぁ…
 
 っと話が明後日に飛んでいったが、こうして思うに本当にバブルは日本を壊したんだなぁ… っと。いい・悪いじゃなくてね。もぅ何て言うか私の生まれる前のTV出現とかそんなレベルじゃなくて、大きくストンと時代と言うか環境と言うか構造と言うか世界っか社会をガーッとブッ壊してしまったんだな、っと。自分も中年っか四捨五入して40代だから余計にそう思うかもしれんけど、過去が本当に遠く見える。別に戻りたくもない… だってネットもWiiXBOX360もDVDも無いなんてねぇ(笑)… が、情報量の少なさ故に単純に思えたからこそ描けた未来も、体制や世間への対立だけで自己存在確認行為が出来ていたと信じれていた時代にはもぅ戻れず、際限の無い相対化の果てに自己に閉塞して膿む人も少なくないように感じる・見える現在から続く未来ってどないなんねん? ワイヤーフレームやスプライトの拡大縮小で3D表現してた頃の驚きももぅ無く、並行輸入の本物の酒が当たり前に買えて、って、つくづくえれぇ時代になったなぁ… っとウダウダ書くだけでオチは特に無いただの戯言。 
 

*1:焼きそばUFO、「どん兵衛」のリリースは1976年。