補記。

 
 寝る前に見つけた記事についてザッと書いた戯言への補記。
 
 実際のリストを見る気になれなかったがやはり見てないで書くのも… っと本屋のオヤジのHP内のこれ読め500選リスト、共にさっき見てみたんですけど何じゃこりゃ。
 
 最低限作家別にするのは礼儀じゃぁねぇのか。
でなきゃ出版社別に撤するなり作品名のかな順にするなりジャンル別にするなり年代順にするなり、っていった手間も労力もかかってなけりゃぁ選出根拠も曖昧な上にコメントも意味不明、左巻きまみれな上に本来なら小学生のウチに読んでおくと楽しい本・児童文学まで混じってメチャクチャじゃぁねぇか。
 これで「読め!」だぁ? 何ですかお前ら。
 ソートが面倒だし手間もかかるがそれをしてこそのプロじゃないの?
 
 あぁ、亀田兄弟のような家族という『お話』が視聴率としてそれなりの結果が出てしまう昨今、己の事は棚に上げて子供に自分のコンプレックスやエゴや僻みや妬みや願望やらを押し付ける事が自分達がされたら厭で我慢ならないくせに子供にはやっちゃってて、それに疑問も自省も持てない「大人」が増えてんのか? 例えいい本があってもこんな連中に押し付けられたらいくら本好きの私だって読むのが厭んなるよ…
 
 
 以下はあまり関係の無い余談なんでお暇な方だけ
 
 叶わなかった自分の夢を子供に押し付ける例として『巨人の星』を挙げられる事は少なくないが、原作は知らんけどアニメ版ではそうではないんですよな。
 星一徹自身は野球に未練はあったものの家庭の為に未練を捨てて仕事に打ち込んでいたが、病気で死んだ妻・春江が臨終の際、自分と家庭の為に一徹の夢を捨てさせてしまった事を詫び、夢を叶えるように言い残した事こそがあのスパルタの日々の始まりとなった、って描かれていたんですな。一徹があそこまでになってしまったのは春江への愛、後悔の念あればこそ、だから春江さんが死ななければ飛雄馬は貧乏ながらも普通の子供に育っていたかもしれないワケで… という事を一徹自身も解っていても… っとなってるんですよ。
 だから飛雄馬を立派にする事こそが全て、という己のありように対して客観的ですらあるがしかし… というエピソードを観てるだけに形だけの押し付けの例に『巨人の星』を挙げるのはあまり適切ではない、と思うんですけども。