テリー・ギリアム、とか。

 
 id:violent_jefさんの記事にコメントで… っと思ったのだけどすんげぇ長くなってコメントじゃねぇよこんなの… って分量でもまだ足りないのでTB。小言ジジイみたいで自分でも嫌なんだが… まぁ諦めてくれたまへ。
 
・『バンディットQ (1981)』『ブラジル (1985)』『バロン (1989)』はギリアムの人生三部作と呼ばれていて、それぞれ「自立と旅立ちの少年期」「閉塞と憂鬱の青年期」「解放と再生の老人期」ってテーマがあったそうです。ギリアム自身は多分、フラストレーションの溜まった共同監督作『ホーリー・グレイル (1975)』を『ジャバウォッキー (1978)』で解消した後で見つけたテーマだった筈。
 
・『バロン (1989)』は結果から見れば大ゴケ、なんですが当時の興行成績自体は普通。
プロデューサーと会計担当が出鱈目で、かつ、助監督の能力不足、そしてロケ地でもあったイタリアの映画界の連中がこぞってタカリまくって(勝手にやって来た挙句、自分がホテルに呼んだ娼婦の代金まで払わされた… とか)予算がメチャクチャかかってしまったから収支で大赤字になった、ってのが本当のトコロで。
 そう、そんな経験があったというのに、同じような形で『ロスト・イン・ラ・マンチャ (2001)』してしまうんですから困ったお人であります。
 
・確かに『ハリー・ポッター』にジョン・クリーズは首なしニック役で出演してますが、すんげぇチョイ役でホンの一瞬だけなんで、同じチョイ役でもどうせなら『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル (2003)』でのボケ役がオイシイかと思われ。
 
・パイソンズとビートルズの繋がりが出来たのは『マジック・クリスチャン (1969)』からで、このリンゴ・スターとピーター・セラーズの映画のギャグ捻出の為にジョン・クリーズとグレアム・チャップマンが協力した事*1でジョージ・ハリソンらとの関わりも出来たそうな。生前、ジョン・レノンが
「もし次に何かやるのならパイソンズ」
 っと言ったらしいんですが、それが本当かどうかは不明。
 
 特にジョージはパイソンズとの関わりが深く… エリック・アイドル主演脚本監督のビートルズ伝記パロディ『ラトルズ 4人もアイドル (1978)』に出演した後、題材の過激さ故に資金集めに難航していたパイソンズらの為に『ライフ・オブ・ブライアン(1979)』の為にHandMade Filmsを設立。その後もギリアムの『バンデットQ (1981)』、クリーズの『ゲイ人大尉と兵隊ヤクシャ (1982)』、マイケル・ペリンの『ストップ・ザ・売春天国 (1983)』、エリックの『ナンズ・オン・ザ・ラン−走れ!尼さん− (1990)』等の製作総指揮役をしていますよね…
 
・現存しているパイソンズのメンバーがいて、根強いファンがいるにも関わらず日本版の無い作品というものは結構ありますよな。出来れば私もぁゃιぃヒアリングに頼る事無く日本語字幕で観れればいいなぁ… っと思う作品を最後に列記。

  1. 『ライフ・オブ・ブライアン(1979)』
  2. 『ジャバーウォッキー(1978)』
  3. 『THE WIND IN THE WILLOWS (1996)』

1.と2.は過去VHSやLD版が出ていた筈なんだが… リマスター版の版権料が高いのかもしれないけど出て欲しいですな。3.はUK版を持っているんですが、早口&イギリス的アクセントが(涙)。子供向けミュージカル映画ですが、ギリアム以外の生存パイソンズが揃った楽しい作品でありますが…
『At Last the 1948 Show (1967)』『Do Not Adjust Your Set (1968)』『How to Irritate People (1968)』といったパイソンズ結成前夜作品とか言い出したらキリがねぇんですがしかし格別に面白いモノだとは言いかねますし、のぅ…
 

*1:リンゴ・スターが『モンティ・パイソン』本編に出演したのもその流れから。