他山の石。

 私は、いまの若者を理解することが出来ないが、彼等を信ずるのは、ただ一点、
私たちの世代の者のような馬鹿な酒の飲み方をしないということであろう。
 彼等は、酒場における擬似恋愛なんかは、チャンチャラオカシク思い、鼻の先
で笑うだろう。その点は非常にたのもしい。小学校以来、男女共学で育ち、もち
ろん赤線を知らずという男たちは、女に対する理解度がまるで違う。
 彼らが、青年紳士、中年紳士になったとき、もう一度、小粋な酒場が復活する
のではあるまいか。すくなくとも、酒場へ行って、女給にさわらなければ損、抱
かなければ損というような考えをもつことはないだろう。
 
山口瞳 - 『酒呑みの自己弁護 (新潮文庫 や 7-7)』ヨリ引用。

  
 この本の初版は昭和四十八年(1973年)、とある。
当時、山口瞳氏はよく読まれる作家で著作の映画化は何度もあったし、そのエッ
セイも人気があり、特に若者、サラリーマンに向けたものはよく売れた、よく読
まれた作家だった… と言われている。
 
 しかし…
 
 その当時、著者に信じられた読者である若者達が30年後の今、ちゃんとした
飲み方の出来る大人になれたか? と言えばそうとは言えないワケで。そして、
その世代の子供らはどうか? っとなると、これまた出会い系やキャバクラなど
擬似の方が商売まっさかりになっていて。
 
 勿論、この当時から綺麗な飲み方をする人はいて、そうでない人もいる、って
だけの事だという言い方も出来るし、世代論で括るのは無駄以前に不毛だと思う
んだが… でも、
「歳をとるってのはそういう事だよ」
 っとシタリ顔でのたまったオッサンに
「それは違う。人の品性は年齢や加齢で劣化、低下するもんじゃぁない」
 っと過去に言ってた自分がいるんだから、せめてその時の自分の志っか想いを
自ら汚す事もないよなぁ… ま、他山の石は他山の石、であって磨くべきはあく
までも自分の石、ですし、だからこそ人はよく選びたいものだな… っと、改め
て思った金曜日。