私の場合。

 
「言わない事はあっても、思ってもいない事や嘘はつかない。」
 というのは私のファッションではなくライフスタイル。
そりゃまぁ時として誰かをハメたり陥れたり笑い者にする為の悪意の嘘は吐いていた頃もあったが、結局、そういう手間をかけなきゃぁならん相手は私が手間をかけずとも己の卑しさや醜さや了見の狭さなどで何れ自分からハマり、陥り、笑い者になっていく事がこの歳まで生きていて解ったんで、
「じゃぁまぁ私が手間をかける必要は特に無いよな… 自分が実害くらったとかじゃぁねぇのなら」
 っと思うようになってねぇ… 丸くなったワケじゃなくてね。
 
 面白いもので自己保全、補完で嘘を吐く人って他人から見りゃぁ一目瞭然、バレバレなのにそれが通用している、と信じていられるのも結局そんな一目瞭然の嘘をも見破れない程度の中身の人間との付き合いしか無いからってだけなんだけど、でも、そうやってきた事によって自分の今いる情況が閉塞していて更に嘘を重ねなけばならなくなってるって事に気がついていない事が多いのな。馬鹿じゃねぇか? と思うんだが。
 稀にその事くらいは気がついていても何故か
「この程度の人間なら騙せる」
 って判断を自分の嘘を見破ってない人達や現状だけを根拠、基準にしているって自己矛盾やら不明さには全然気がついていないんですよな…
 
 どちらにしたって自己中毒か自意識肥大でしか無いんだけども、そんなにまでして嘘を吐いたトコロで、余計に情況はマズくなっていくだけではないのかねぇ… っと思わないでもないが、しかし幼児ではなく仮にもオトナと呼ばれる歳の輩が物の道理も筋も解らん、って時点で既に私にはアウトだし、行き着く答えは「嘘吐きは嘘吐き。クズはクズ。」にしかならんのは自業自得、因果応報としか言えませんよ… って余談はさておき。
 
 私が嘘を吐かない理由、というのはもっと単純で
「結局、嘘はバレる」
 という事実からなんですよ。んで、
バレた時に自分が笑い者になるのは自業自得としても、自分と付き合いのある人間まで笑い者になったり罵倒されたりするのは、「付き合う」と決めた相手の判断もあるとは言え、とても我慢ならない、耐えられぬ程に今、私がお付き合いさせてもらっている方々が素晴らしい、楽しい、素敵な人達だと思うからで、その人達の事を思えば嘘を吐くなんて出来ませんっての。
 
 人と付き合うという事は、それが例えネットだけであったとしても、それだけの覚悟と責任がある… って私は勝手にライフスタイルとしているんですが、これはあくまで私の勝手、他人がそれを遵守しなきゃぁならん義務も責任も無いと思ってますよ、ハイ。
 
「でも、もし私との付き合いがある人が嘘を吐いていたとしたら… 」
 って考えは常に頭の隅っこにはありますが… だって、私は他者ではありませんし、お付き合いしているとは言っても盲信してるってワケでもありませんし… 元々選んで判断して付き合っている時点で私の責任ですから、
「私の物を、人を見る眼が無かっただけ」
 っと私も笑い者にもなりますが、嘘を吐いた事についてはその当人に対して、付き合っている以上は嘘を吐いた事だけでなく、総合的に批判をする責任、と言うか覚悟はありますよ。
 実際、つまんない嘘を並べて誤魔化そうとした輩はリアルで徹底的に叩いて絶縁になったり逆恨みされた事もありますが、
「私は●●に騙されたンデス! 被害者なンデス!」
 っていい歳ぶっこいたオトナが言うのも嘘吐き当人と中身、大差ねぇっしょ。っか馬鹿くせぇし、それを誤魔化すのもみっともねぇですし… まぁ、それが付き合いの最後になったとしても、付き合った事で得た、感じた、考えた事への恩と言うか礼として私はすべきだと思ってます。
 逆に、
そうしない事は相手に対しても自分に対しても嘘や怠慢や欺瞞、不実であると思うんで出来ない、ってのもありますが、それを通していられるだけの人としか付き合いたかねぇですよ… 自分にとっての趣味や仕事も忙しいのに、わざわざ時間や気力を割いてクズ、下衆、嘘吐きなんぞと関わり合わにゃならんなんて最悪じゃぁないですか。
 
 友は我を映す鏡、とも、我は友を映す鏡、とも申します。
まぁ世の中にはその鏡が曇りっぱなしだったり歪んでたり割れてたりするのに気がついていない人もいますけど、そういうクズや阿呆はさておいて、付き合う人はよく選ぶべきだと私は思っておりますが…
 
 繰り返しになりますが、これはあくまでも私の場合。
人それぞれライフスタイル、ポリシー、誇り、信念、そういうものが違っている事は当然ですし、要するにこの戯言、
「私がいかに嘘吐き、クズが嫌いなのか」
 という、前回の雑記を書いた動機を書きたくなったから書いた、ただの戯言でございますんで特に深い意味や意義はござんせん、悪しからず。