「日記」

 実家が寺、という事もあったし祖母が住職だった、ってのもあってお盆と
いうと親戚の世話をしたりお寺でなんやかんやと手伝って… ってのがデフ
ォルトであったのも祖母との争い、決別、そして祖母の死を迎えてからは
世間様並の寺との関わりになって既に数年、慣れてしまった部分もあれば、
未だ慣れずにいる部分もあって複雑な気分ではあるが、お墓を掃除する事と
かは別に嫌いでもないし義務感とも違うし神妙な気分になるのでもなし。た
だ青く晴れた空の高さと日差しに閉口しつつも亀の子タワシでゴシゴシと洗
うのはなんとなく気分がよろしい。
 
 祖母とは本当にどろどろとしたままで死で別れた。なんのかんのとあった
けど結局お通夜で見送ったのはボロクソに罵られていた私と私の妻だけだっ
た、ってのは笑い話だと思えたが、葬式後の会食で
「あんた、やっぱり生きてたんだ!」
 っと遠方の親戚から私が既に死んでいり、一生寝たきりになってたりって
事が祖母によって流布されていたのを知って何となくその気分も消えていて
その後の親戚のゴタゴタも含めてなんとなく平静な気分にはなれないが、そ
れはあくまでも祖母に限っての事、であって、会った事も無い他の御先祖様
にどうこうという想いも無い。そりゃまぁ、死して尚、憎む程ではないが、
と言って死ねば皆仏様、というのでもなく。既に5年になろうとしているが
この複雑な気分というのは、墓を掃除し、洗う事の気分の良さと同じように
変わる事も無く。
 
 思い出の風景のあちこちが時代の中で変化をし、かつて遊んだ寺も本堂以
外は面影も無し。こうして自分が歳をくっていっていて、子供も作らないで
墓を残す気も無い私らにしてみれば何とも妙なものだが、不遜や邪険に思う
事も無くいというのも妙なものかもしれん、っと思ったりもして。
 
 そういえば妻の御実家の義父の墓の御掃除もそろそろしたいよなぁ… と
思ったお盆。おりあえず、この1年、家族が無事でいられた事に素直に感謝。