タナカのまとめと雑感。

 
 アクセス数を見るに一段落ついたっぽいんで、ここでの事に限って思う事をまとめて終了としたい。っか、ワケわからん引用されて材料にされるのも迷惑だが、誤解されるのもどうもなぁ… そりゃぁ誤解する人の方が悪い、ってな言い方も出来るが、なるべくそうはしたくないんで… って思っての事で。
 以下はまぁお暇な人だけ
 
 8月4日の私の雑記に『タダシ☆タナカ』というHNで書き込んだ人物を、可能性として考えれば

  • 田中氏本人。
  • 自称・ジャーナリストのS氏。
  • 上記以外の第三者による「なりすまし」、偽者。
    • 騒ぎを拡大したい愉快犯。
    • 田中氏の言動や行動に対する憤懣を持っての確信犯。
    • 嫉妬や恨みなどの怨恨犯。  
    • 田中氏の関係者・ファンによる擁護(&威嚇)。
    • 田中氏の関係者・ファンによる情報と状況の攪乱作戦。

 しか無いように思うが…
 まぁいずれにせよ、あんなので圧力だとは思えないし、誰だろうが、どういう目的だったんだろうが知ったこっちゃねぇよな、っと。
 あまりに騒ぎが酷くなった場合は、はてなに相談にして何とか情報開示を… って思っていたけど、そんな気は失せたんで今後の事は兎も角としてあの件についてはこれで終了、で、いいんじゃぁねぇの? って思うんですが。
 もぅ話題としては干乾びただろうし、ね…
 
 んで、ここから下が余談、っか雑感。
 
 個人のブログに対してあれほど速やかにメールをした御仁が、イニシャルとはいえ全国紙で書かれて一週間以上、特に何かアクションを起こしてはいない事を見るに
「それが事実だと思われても構わない」
 って思ってるんでしょうなぁ… って事以外は特にねぇ… まぁ、だったら何で最初はメールしてんだ? ってなるけどさ。
 
 今回の騒ぎの御蔭で田中氏が寄稿している雑誌名も解ったので、これから田中氏の記事と出くわす可能性が減った事は唯一の収穫かもしれん。だってさぁ、歩いていたら乞食の死体と出くわすようなもんだよ? 不愉快にしかならんって…
 
 確か98年くらいだったと思うが『開戦! プロレス・シュート宣言 ― 最強エンタテインメント格闘技』を表紙で買ってみて、私の知らないアメリカでの状況が結構書かれていた事もあって、文章は読み難くてしょうがないし、面白さとしては『ケーフェイ』の方が断然だと思うんだけど、
「あぁ、こういうプロレス本が出るようになったんだ… 」
 と、悪い印象は無かったんですよ。
まぁ後で自分がインターネットに接続出来るようになり、自分で情報検索が出来るようになると「 … 」な部分もあるんだけど、少なくとも今ほどネット環境が一般化していない… その当時はまだポケベルが主流で今のように携帯でメールもネットも出来るような時代でもなかったし、ADSLなんてまだまだの頃… その当時にあの本が出た事の意義や意味はあったんじゃぁないかな? っと。
 
 しかし…
 
 それから時は過ぎ、『紙のプロレス』で初めてインタビューで登場した時に、
「こんな自己顕示欲の塊だったっけ?」
 と思った印象が以降の連載で悪くなりこそすれ良くなる事はなく、私は他にもターザンやジミーにも我慢ならなくなって『紙プロ』を購入するのを止めたんだが、その後うっかり実話誌で出くわす田中氏の記事は、単にネットで知ったネタを読むという既視感を除いても、私には出来が悪い、酷い仕事にしか思えなくてねぇ… シュート活字なる言葉には明確な定義も意味は無かったと思うが、当時はまだ状況を撃つ新しさも期待も私には感じられたものだが、その提唱者が結局カストリ雑誌の芸能スキャンダル記事と同じ、何の根拠も証拠も無い、筆者の勝手な思い込みと悪意による結論の為の憶測と意味付けで投げっ放し… って記事を書き散らかしているようになっちゃぁもぅ、シュート活字とはそういうものでしかなかったの? って多少、寂しく思わなくもないんですよ、私は。
 まぁ芥子粒並にホンのチョッピリ、ですけども。
 
 人は生きていかなきゃならんワケだし変わっていくものでもありますが…
 
 昔、日本冒険小説協会にいた時に志水辰夫先生、馳星周先生、藤田宜永先生、船戸与一先生など、ライター時代のある作家の方々からお話を聞いた事がある身には、確たる想いも信念も目的も無く、書くという情熱も怨念も無く、今の職業に誇りを持っているとはとても思えないような記事しか書けていない田中氏が、ライターという職業に固執しなきゃならんのは当人ならぬ私には理解出来ませんなぁ…