『野獣死すべし』との再会で

『御法度』っ〜クダラネー滓映画の中で、ホモの渚が己のザーメンぶちまけてる
松田龍平、役者以前だけど時折見せる表情に父・優作の影が見えてなんとなく気
になったその夜に『野獣死すべし』がCATVでやってたのでつい、観ちゃう。

 この作品、松田優作の代表作の1つに挙げられるが個人的には好きじゃない
って印象だけがずっと… 途中まではすげぇ面白く思ってたのにギャーって喚い
て… ってのがダセぇって思って以来、多分小学生か中学生の頃から… 一度も
観直した事が無かったが、いやぁ… やっぱりあの伊達の、幽鬼というか狂気の
佇まいは本当にゾクゾクとして、
「やっぱり子供の頃の見方じゃぁ駄目だよなぁ… 」
 と思っていたのだが、ラスト間際のトンネルだか坑道みたいな所での一人芝居
で解説、ってので一気に冷めた。

 気違いは気違いのままでいいじゃぁねぇか…

 長いワリに、悲壮感とか狂気とか、それまであったものが全部陳腐になってし
まうんで、結局昔も今も
「夜汽車のリップバーン・ウィンクルのところまでの映画」
 って結論は変わらないままでありました。

 死後に出た様々な松田優作関連の本を読んで、彼の役に憑かれる様を知ってる
けれど、どうもこの映画の場合はそこからズレた… 映画としての必然ではなく
松田優作がやりたい事、って必要からくるシーンが少なくない印象が勿体無くて。

 松田優作の不幸を… あの肉体と映画に対する情熱、いや執念が結実しきる事
は殆ど無かった… を思うに、これまでは私の中でなんとなく
「同時代に、同世代に、競うべき相手がいなかった」
 ってのが大きいかと思っていた。
 何故なら、プロデューサーはいたのだ。脚本家も、カメラマンも音楽家もいた。
友人もいた。敵もあった。だけど競うべき相手だけがいなかったから…

 でも、一番大きかったのは監督がいなかったんだな… と、観終えて思ってし
まった。もっとコントロール出来る… 役者とせめぎ合い、火花を散らしながら
松田優作を活かす… そんな監督ともっと早くに出会えていたなら… 『家族
ゲーム』での森田監督とはこれの3年後、なんだよね…

 と、ボンヤリと思う。

全ては仮説、言ってもしょうがないけれど、やっぱ勿体無いよなぁ… って。