「『回路』を観て。」(映画雑記)

『スイート・ホーム』の駄作っぷりと伊丹十三への恨み節以外、未見だった
黒澤清監督の『回路』が、たまたまチャンネルNECOで放送されてたんで
観てみる事にする。『降霊』とか『ドッペルゲンガー』とか氏の監督作品で
観てみたいものもあったんで、あくまでお試し… って事で観てみたが…

 ん〜…

 つまんなくは無い。幽霊の「そこにいる」って感じや、飛び降り自殺の
シーンとか見事だと思うんだけど、怖いとか理不尽とか感じなくてなんか…
『回路』って題名のせいだけでなくワリと理論的な感じがしてるんだけど、
それが結局破綻しちゃってるのは作風とか狙いじゃなくて要するに監督の
能力不足か怠慢じゃぁないのか? と思ってしまうのだが。
 中田秀夫がホラーに愛情も思い入れも全く無いが故に理論的に研究して
構築する手法に作家性を求めるのがナンセンスなように、黒澤清に完成度
を求めるのもナンセンスなのかなぁ… とか思ったりしましたが、それに
したってどっち向いてんのか、何をしたいのかが散漫で整理されていない
のはちょっと駄目なんですな、私。

 何と言うか、「ただ、これをやりたい!」ってだけの映画でも全然OK
な私ですが、『回路』ってそこまでのパッションを感じれなかったんです。

 それに、そこまで「孤独」イコール、怖い事かなぁ?
むしろそう思える事自体が怖いと思うし、ただ「孤独」になる為に原野に
住む人々の事を思うと割と甘っちょろい気がしちゃうんだけどなぁ…
 だって、人はそもそも孤独であって、それ自体は絶対じゃない?
そこへの意味付けって点で宗教とか色々あるんだけど、そこに迫るなのら
ともかく、倣ってもしゃぁないと思うんだけどなぁ… とかね。

 でも、映像的な感覚は嫌いじゃぁないです。
だからと言ってこの監督の作品を色々観たいか? となると、三池崇史
方が「やりたい事」と「映画というお仕事」って2点を必ず押さえている
から好き・嫌いはあっても観れるしなぁ… というのが正直なトコロ。
 とは言え、妻は三池作品、
元気玉は許しません! 認めません!」
 とカタクナな否定になっちゃうんですよね… 私はアリなんだけど(笑)

 ってくらいにクリエイティヴの方向にはユルくても精度っか質には五月
蝿い私には、ちょっと辛い映画、でしたなぁ…