職業倫理、とは言うけれど…

 

 
教員大量「駆け込み退職」全国に波及 埼玉は100人超 退職金200万円減額前に…
 
 聖職か、それとも自らの老後か−。埼玉県が2月から職員の退職手当を引き下げるのを前に、3月末で定年退職を迎える教員100人以上が1月末での退職を申し出ている問題で、「駆け込み退職」は同県だけでなく、佐賀県徳島県など全国に波及していることが分かった。最も多忙な年度末に、個人的なカネが事情の“逃亡”については、現場から「あり得ない」と非難の声が渦巻いている。
 
 埼玉県のある現役公立校教師は怒りをあらわにする。
 
 「毎年1−3月は次年度に引き継ぐ書類の作成などに追われて特に忙しい。普通の感覚を持った先生なら、どんな理由でもこのタイミングでは辞めない。あり得ないことだ」
 
 関係者によると、駆け込み退職を申し出た教員は計110人で、県採用が89人、さいたま市の採用が21人。学級担任は県と市で計30人いた。県には教頭4人も含まれている。
 
 “逃亡”を目の当たりにした別の現役教師も「音楽の先生がイベントの開催を目前に駆け込み退職を決めた。子供たちを捨てるのか」と憤りを隠さない。
 
 問題の発端は昨年11月に成立した改正公務員退職手当法にある。国家公務員の退職手当減額に伴い、埼玉県も昨年12月に条例を改正。2月から施行する。勤続35年以上の教員が3月末に退職した場合、手当は現行の2800万円前後から150万円−200万円ほど減額。施行を4月1日にすると、同県の県費は39億円も余計にかかる。
 
 駆け込みは、埼玉だけの現象ではなかった。23日付の毎日新聞朝刊によると、1月1月付で条例を改正した佐賀県徳島県でも教頭や担任を含む教員43人がすでに駆け込み退職していたことが判明。高知県や愛知県、兵庫県京都市にも退職希望者がいるという。
 
 埼玉県の上田清司知事は22日の会見で、「2カ月残して辞めるのは無責任とのそしりを受けてもやむを得ない」と不快感をあらわにした。県庁幹部も「最後まで勤めるのが公務員の職責ではないか」と顔をしかめた。
 
 ただ、現場には退職希望者の行動に理解を示す声もある。埼玉の県教委関係者は「地方公務員の収入は思われているほど高くない。退職金が100万円以上も減るのは、老後のことを考えると厳しい。急な決定でもあり、駆け込み退職を決めた先生方を『あいつらだけ多くもらいやがって』とねたむ空気はない」と語った。
 
 「モラル」の値段が200万円。高いのか、安いのか…。
 
 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130123/dms1301231131009-n1.htm

 

 
大津市大阪市等に限らず確かにド腐れ教師やペド野郎は決して少なくないし、日教組が下衆で破廉恥だからってのも承知の上で、確かに金銭の問題も大きかったのだろうとは思うけれども、己の職業に対する責任感やらプライドやら自負っか矜持ってのかな? それを当人が持てるような今時の世の中っか御時世なんだろうか? と思わなくもなく… 自衛隊員、海上保安員、警察官、消防士、ナド等、公務員に限らず医師や看護師とかイチイチ例を出すのもアレなんで止めますけど、その職業・業務に対して過剰に責任や義務を名目や建前にしての手前ぇ勝手な我侭を言い募られるのかウサ晴らしの罵倒しか言われなかったら、とか。職業倫理とは言うけれど、それこそモチベーションなりも込みで個人の倫理や正義感、若しくは信仰心に押し付けられ続けても尚、って人はそうそういるもんでもないと思ってしまうんですよね。記事ではモラルの値段って言ってますけど高い安い以前に、ってのをまず【前提】にされても… ってのも少なからず、じゃぁないんでしょうかね?
 
教師の場合に限って言えば、本来躾は家庭で、道徳や倫理については地域で、ってするべき… なんてのはもぅ何年前から言われているけれど。体罰にしてもそう。学級崩壊にしてもそう。問題は常にあったし、情況についても常に言われ続けてきているけれど、じゃぁ教師が一人の人間としての人権・人格を持てるだけの金銭的・経済的余裕を例えば市民っか家庭側が、地域側が、体制側が、それぞれ出来る事をやってきたのか?ったら、どうもそういう話は聞かないワケで。あるのかもしんないけど… って、視点で
 

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

 
 を読んでみるとまた違った面白味もあるんじゃぁないかと。
そう、モンペに限らない、それこそ糞マスコミとか似非文化人が言い募るだけの理想の教師像… 博識でいながらもユーモアセンスもあって親しみがあり、絶対に生徒には手を上げない、学校からの給与のみで生徒にも親にも資金的な要求を一切せず、一人一人の生徒について熟知し親身に真剣になって人間として「心と身体をピカピカに磨き上げる」、見捨てる事なく自らの命を張って生徒を守る、ってのは別に今までもドラマなりマンガでもあったけれども1つ1つの高い水準での要求が積み重なって聳える山んなった現代では殺せんせー… 人の形すらしていない絵空事… の方がリアリティがあるんですもの。でも、その殺せんせーにしても体育教師と英語教師は別なワケだし、舞台の学園は超エリート校であっていくら劣等生であっても本来のキャパっか能力が高いってトコも込みで読んでみては如何でしょう。ええ、娯楽マンガですしこういうヒネた視点は作者も迷惑に思われるのやもしれませんが、現代に支持される娯楽が描く「時代」って見方も面白いと思うんですよね。
 
うん、聖域にしろ聖職にしろ、その神聖性を保証っか証明するものが過去からの歴史でしかないのであれば、それはただのエリアであり人でしかないと思ってしまうんですよね、私は。だからこそ盲目げで宗教的と言えなくもないんですが、
「君らの神の正気は 一体どこの誰が保証してくれるのだね?」
 って少佐の言を持ち出すまでもないんじゃぁないんでしょうかね… っと。