多分記憶違いも少なくないであろう映画についてダラダラととりとめもなく書くメモ。

 
 コメント欄に書くと長いんでココで記事にしてTBしようかと思ったんだけど、まとまらんかったし長いわで消そうかと思ったんだけどこういう自分の思考の混在を後で整理する為にただダラダラと書いたそのままで残しておくだけの戯言。もうちょっとで整理がつきそうなんだが…
 
『The Simpsons Movie (2007)』の日本公開が決まったものの、これまでTVシリーズを担当してきた日本版キャストを全面刷新してタレントを起用した事による批判が出ているのだが、これはその事態そのもよりもこれまで日本の映画会社や配給会社が公然と行ってきた傲慢なやり口に対する鬱積が一気に噴出したのではないのか… かつて、戸田奈津子による字幕の出来の酷さへの不満が『LotR』によって一気に噴出したように… と思ったりしなくもなく。
 
小さな恋のメロディ (1971)』というイギリス映画がございましてな。
本国のみならずアメリカでも大コケという映画だったのを安く買い付けた日本の配給会社は題名を主人公の一人・女の子の役名の『Melody』って題名を当時連載10年目になろうとしていた『小さな恋のものがたり』に倣ってか先述したような邦題にし、写真だったポスターを日本のみの水彩画イラストのものに変更、キャッチコピーは
「愛し合っていうんだもの・・・なにがいけないの?」
 というものにした本作は日本でだけ大ヒット。地方のしがない映画配給会社だったヘラルドはこの大儲けで一気に大手映画会社へとのし上がる事になるが、それによって
「安く買い付けた映画で儲ける為には何をしても構わない」
 という風潮が出来上がって後の東宝東和イズムで一旦頂点を極めるものの、流石に全くの嘘、出鱈目、捏造の度が過ぎた事に対して観客の拒否反応が出て控えるようにはなっていたものの、元々マーケット的に小さいホラーやエロに関してはずっと続いていたのは「映画」という「興行」が「見世物」とも通じていたからの事だったと思う。
「あぁ、また騙された(苦笑)」
 みたいな。六尺のオオイタチに怒るのも野暮って感じで。
 
 ヘラルドを更にのし上げたのは『エマニエル』シリーズだったと記憶しているが、上映された代物は本当に酷い物でカットカット、ボカシで済むトコまで大幅にカットし日本独自の画面合成までした代物だったもので他愛ない… それこそ同時代の女囚映画とか他のジャンルに比べればオリジナル版は随分と大人しいソフトコアだったものを当に宣伝で大ヒットにしてしまった事で、確実に日本の映画産業が歪んだが、それはまだ映画館が映画会社の系列配給制度が機能していた頃の、前時代的なものとして歴史に留めておくべき事だった筈だが… っと思わないでもない。
 
 兎に角まぁ昔はそういう酷い詐欺みたいな事がまかり通っていて。でも、ワケのわからんタレントによる吹替えになろうとも、大幅にオリジナルからのカットがあろうとも、読んでいて本当に酷い字幕・翻訳であろうとも、内容と全く関係の無い宣伝やポスター露出であろうとも、
「しかし日本で観られるんだから、そこは我慢するしか無い。」
 と思っていた時期もありましたな… だってレンタルビデオも無い頃、映画は映画館かTVでしか観れなかったし、レンタルビデオが地方にまで充分にタイトルが揃うのには物凄い時間がかかっていたものだし、その頃には大手の資本と宣伝力を持ったチェーン店なりフランチャイズ店の一見それなりの品揃えはあるように見えるだけの店が地元の客質に合わせて蓄積していったその店なりの個性や強みがあった店を淘汰してしまっていたし。そしてソフトが箆棒に高かった。手元に『悪魔のいけにえ』の白ジャケット版VHSがあるが、定価はと見ると14800ってある。これが別に珍しいものではなかったって時代があると、それがどれだけ気に入らなくても何となく映画を観させてもらえているって事それ自体に、映画がどのように冒涜されようとも我慢をして観るって感覚が作られていたものです。最近でも例えば『シュレック』かな? マイク・マイヤーズが声を担当する事である種の湿度・陰気さ・神経質さといった複雑さを抱えたキャラクターだったシュレックが、キャメロン・ディアズが声を担当する事で生来の湿度の低い陽気さと我の強さを持ったフィオナ姫が、それぞれオリジナルの意図とは全く別のキャラになったとしても、それで敷居が下がって日本でもそれなりにヒットして後のシリーズも公開されるようになった事はそれはそれで悪くはないが… とかね。何せ声優だから必ず声の演技が巧い!というワケでもないし、声優としての巧さが必ずしもその作品に合うというものでもない、って事もありますし。
 そりゃまぁ結果として
「今やこのキャラはもぅこの人しか考えられない!」
 ってのの方が嬉しいですよ。例えば『天空の城ラピュタ』のムスカやドーラ、例えば『モンスターズ・インク』のマイク*1等の好例もあるから必ずしも日本語の吹替えに声優以外を起用するべきではない!とは思わないんですが、まぁそれでも基本的には
「日本での上映、ソフト化なんてのは映画会社、配給会社の気紛れにしか過ぎないんだから、せめて自分が観たいと思っていた映画に関しては日本の映画会社、配給会社に対しての文句は文句として、観れる事を大事にしよう」
 と思っていた時期もあったんですが、まぁそのぉ〜 DVDを個人輸入をするようになってからというもの、そういう考えは段々と無くなってゆきましてのぅ… 何せ送料込みで2千円程度で本場の本物が観られるんですもの。そりゃまぁ日本語字幕も吹替えも無い事が殆ど、ではありますが、大抵の場合、日本版はレンタル版よりも発売が後の上にオリジナル版よりも高くて特典が少なくて汚い上に最悪3ヶ月くらいでもぅ廉価版が出る、ってんじゃぁわざわざ地元で公開されるかどうかも解らん映画の上映を待つのも、その日本版ソフトが出るのを待つのももぅカッタルイんですよな。これまた余程の映画でもなければ日本公開なんて本国でのDVD発売後だから、日頃からネットで情報収集して興味のある映画に関してはサッサとオフィシャルサイトやYoutube等をチェックしておけばいい、という世の中にあっては日本版が大抵劣悪な情況なのも重々承知していても以前程には腹が立たないようになってきましてなぁ… オリジナルを買えばいいんだし、っと。
 
 ハリウッド映画にしたって集客目的の宣伝目的の為にニュース等で話題になっている人や有名人を出演させるって事は特に珍しくないが、映画作りがシビアなビジネスでいくら最終的に海外での上映やDVDセールス&CS等での放映権料でカバー出来たと言ってもまず国内での興行成績があってこそのもの、って前提があるから単に出演させましたってだけでそれでお客が観てくれるワケじゃないから映画としての出来を… としていても、それでもコケてしまう映画ってのが少なくないくらいに観客が娯楽に対してシビアでありつつも、一方でインディペンデントで低予算で、全く無名の監督や脚本家や出演者らで、宣伝が殆どなされていなくて身近な場所で上映されていない作品であっても面白ければ素直に受け入れてヒットし上映館数も拡大する、という市場ってのかな? 確かに揺らぎっか幅はあるもののある程度は観客による審判が結果として出て、それが次に未来にと繋がっているからこそランキングの信憑性や信頼性に繋がる部分もある、ってのは羨ましいと思うんですな。
 だからまぁ露骨なもんで、アメリカ国内での興行成績が予想通りではなかった作品がいざ日本で上映っとなると来日記者会見とかのプロモーションが派手に、豪華になるんだけど実際それで本国では興行成績ベスト10にも入らない映画が日本では大ヒット&ロングラン上映になるんだからそりゃまぁ日本のお客さんは大切にするわいなぁ… 何せ、客入りが悪ければ平気で公開から3日で打ち切りになる事が珍しくない海外と比べればどんな客入りでも最低2週間は上映が保証されている日本では、映画における収益で一番大切なのがレンタル店への販売と利用権料、ってのがもぅ公開時に組み込まれているから余程の事が無い限りは映画会社や配給会社はまず赤が出ようがない、ってなっているから観客がどんな抗議をしようと批判をしようと知ったこっちゃない。全体の収益から言えばセル版の売上なんてのは所詮オマケ、余禄でしかないからどういう品質の、中身のソフトであろうとも知った事じゃぁない… って観客やユーザーが収益に於いて特に重要ではないって興行構造になっている日本で、ユーザーが出来る一番有効な抗議活動ったらオリジナル製作者への嘆願しか無い現状ではいくらロクデモナイ、バカヤロウな作品に対して観客、ファンが拒否、批判をしようともそれがすなわち市場、状況への改善には繋がらない… だってまず赤字が出ないシステムを捨ててまで、映画会社が良い品質の物を提供するとはとても思えないんですよな… 品質で言うなら戸田奈津子が未だにのうのうとしてるじゃん、とかさ…
 最近、映画の一番の見せ場や、ネタバレまで堂々とCMで放送しているのが珍しくないけど、映画を観る事が楽しみな人がやってる事だと思いますかね? 題名を変え、オリジナルのキャスティングや脚本の意図を全く無視しての日本版だけの吹替えキャストや何ら関連性の無いタイアップの楽曲の変更、それらを表現の可能性って言って信頼してもらえるだけの事を、今まで映画会社や配給会社がしてきたか? ったら「殆ど違う」って現状を消費者としてノーと言う以外に出来る事ったら、もぅ個人輸入でオリジナルを購入するしかあるめぇ? だってレンタル店からの収益が大事ではあるけど必ずしもレンタル回転数が重要でないのは大手レンタル店なら大抵は誰も借り手がいないのに無駄に数が揃ってる韓流ドラマの山を見れば解るじゃぁないですか。それくらい、映画興行が映画そのものの興行収入が目的ではなくなっている現状で利益が上がり続けているんだから、映画文化が荒廃しようが何れの構造疲労が目に見えていようが、利益に関係の無い作品の質に拘ると思いますかね? 今まで、あんな事やこんな事しかやってこなかったし、今もまだそういう業界なのに? 既得利権を手放さないのは役所も民間も同じようなもの。まして総体で損益よりも利益が多いのに自浄を求めてもねぇ…
 
 …とか思ってたりするのは酷薄なんだろうなぁ… でも、かつてはホラー、今はコメディをよく観る私からすれば、日本の映画会社に今更期待なり夢等はとても持ちようが無いから、ましてこれからも海外オリジナル国の赤字補填・回収の為の市場ってなっちゃってる日本って状況は進みこそすれ廃るとは到底思えないくらいに映画会社のコンテンツ制作能力の低下が去年の日本アカデミー賞だったとも思っているんで、尚更海外版での視聴からは戻る気にはなれんよなぁ… っと。
 

*1:ディズニーもよく芸能人を起用するけど、オリジナルと聴き比べて声質やキャスティング意図からかけ離れた別物になるような起用はしてない、ってのは何気にいい事ではないかなぁ… っと思うのですが、親会社がそこまで管理してこその品質ってのも… って思わなくもなかったりもして