無題。

 
 自分は全身火傷と火傷による両手の指の内、何本かが焼け落ちて無い為に
障害者手帳を持っている。一応、優れてはいないが一般程度の思考能力、
学力、会話能力はあるし日常生活も健常者に比べれば遅いものの自分一人で
は出来ないという事はほぼ無いと思うが、障害者である事というのは死ぬ迄
逃げられない事実ではあるし社会的、世間的にはまさに「差し障る害のある
者」としての扱いを私のみならず家族まで負わされる事となる。
 
 祖母は、私がこういう状態になった時に日常的な付き合いの無い遥か遠方
の親類縁者には私が死んだと言った。母にしても
「私の可愛い●●●は死んだんだ!この化け物が!」
 と罵る事も少なくなかった事の裏側には、それだけ世間の扱いというもの
の酷さがあるからであろうて。
 
 親になった事がないので親の気持ちやらは私には想像もつかないが、多分
当人と同様の辛さ以外のものもあろうと思う。解らない事については書く気
はないが、あるんだろう、とは思う。それは当事者でなければ理解しえない
事だろうし。そしてそれは、私とは違う障害を持たれた方やその親御さんら
の事も同様で、想像はつかない。
 
 まぁだからと言って私の昔日の事実を赦す気にはまだとてもなれないが。
 
 ただ、思うのですよ。
たまたま私は生かしてもらえた。何度かもぅ生きていても将来いい事は無い
だろうからと母に殺されかけたがたまたま生かしてもらえる事になった。母
と今、その日の事を苦笑して話せる事もしたが、それはあくまでもたまたま
の結果でしかないし、障害者として生きていく事の面倒さも不愉快さも多分
老いて行くこれからの方がより増えてゆくだろう。
 
 エゴ、我侭、身勝手、思い上がりと談じるのは簡単な話でね。
 
 それでも尚、訴える人の言葉以外は、私には遠いし所詮他人事の軽い薄い
ものにしか聞こえねぇ。その『事実』に賛成も共感もしないけど、反対も否
定も批判も出来ない。やりきれない気分を抱えるしかなく、それらを抱えて
生きていくしかないからこそ、その生の、楽しめる事は楽しんでおきたい。
 私は生かしてもらえたのだから。そして今も生きているのだから。