コンビニで立ち読みしていて。

 
「こんなもんだったらスピリッツに移籍してもらって清々してんじゃねぇの?」
 とか思ったりして。
 
 いやね、現状っか情況の切り口を見せるってのもまぁ大事だとは思うんですけどね、でもそれだけで、後は喚いて泣いて鼻水垂らして体制を罵倒するだけの繰り返しって一体何になるのかと。医者が全員一個腎臓を与えたって全員の患者に渡るのでもなく、インドネシアでしたっけ? 臓器売買を容認っか合法としたトコロもある中で、人の臓物を得てまでの生の重さとかを「自分のため」ってエゴだけで押し切ってまた繰り返しになるんだったらなんかもぅ泣きバイとどう違うのかと。情況を、体制を変える為の力になるとはとても思えない。奇麗事のお話だからこそ描けている汚さや悲惨さや苦悩やらは「一杯のかけそば」とどこが違うのか。

リアル 1 (Young jump comics)

リアル 1 (Young jump comics)

 と比べてみればいいが、やってる事が「なんで学校じゃぁ規則を守らにゃならんのじゃー!」っと夜の校舎窓ガラス壊して回って盗んだバイクで走り出す阿呆と大差ねぇよあんなの。情況に、体制に甘えてじゃれてるだけ。それでも現実に苦しんでる人達にとってはこれでも何かの救いになるかもしれん、って側面はあるにしても、それにしたってなぁ… 
「大変なんですよね」
「悲惨なんですよね」
「苦労してるんですよね」
「辛いんですよね」
 って手前ぇの自尊心満たす為に舌なめずりしてる自分に気が付かない【善意の人】がいくら増えたって、「あるある」やミノで納豆やら大豆やらが一時売れるのと何がどう違うというのか… 国際障害者年とか色々あったって、例えあの本が何百万部売れてたって世の中の、現在の、現状はどうだってのさ。