『御先祖様万々歳!』雑感。

 
 結局正月休みはボーッと『はじめの一歩』『妄想代理人』んで『御先祖様万々歳!』を観てたりしてたんですが、やはり試みの面白さと破綻って点で語りたくなるのは『御先祖様万々歳!』だなぁ… っと思ったりもして。『妄想代理人』、楽しめた部分もあるんですがいかんせん端正に過ぎると言うかまとまっちゃった感じがなんか物足りなく… それは今敏作品の良さであるのは承知していても… ってのに比べると、ちゃんとスタート前にシリーズ通してのプラン、脚本があったとは考えられない演出のダブリや曖昧さやらのせいで結局破綻しちゃった様は無残だし惜しいんだけども、後に『MAROKO 麿子』でまとめようとして結局矮小化っか陳腐なモノにしちゃったのと比べればこっちの方が面白いと思うのだが… そう、観直しに耐えられるだけのクオリティはあったと思うのだが。
 
 ただまぁ未整理っかボケた部分は今観ると歯痒く思うトコはありますわな。
 
 舞台劇かのような演出にしても、絵的にはホール(キャパ1〜2千人)なんだけどやってる芝居的には小劇場(キャパ上限500程度)ってのもそうだし、アニメの演出的にはアリでも舞台的には必要とは言い難いSEとかアニメでやる必然性って境界線上を行ったり来たりしてるのもそうなんだけど、だからこその面白味ってんですかね? 凄くイビツで無駄も多いんだけど面白く思えるんですよ、5話までは。
 最終話『胡蝶の夢』が題名通りになってりゃぁまだ良かったものの、それまでやってきたものを捨てて(「やれず」かも?)それまでの一般的なアニメに戻ってしまった時点でメタにもなりきれずにの幕引き・終劇ってのが家族を題材にした物語としてのラストなのか? っと初見ん時は勘違いしかけたものの、結局そうではなかったのは後の『MAROKO 麿子』を経ているからってのもあるかもしれんが再見ではやっぱり失敗、失速、飽き、放棄、としか見れない部分が多くて単体としても辛いんですが、この6話でそれまでが全部台無しになったって点でも辛いなぁ… それが当初から意図していたものとはとても観れないしね… っと。
 
 しっかし、物語として解体しようとした家族が解体できなかった、ってのはやはりお育ちのせいもあるのかなぁ? っと思ったりもして。いや、一般社会的な定義からすれば壊れてる家庭に育っていると、あえて解体の過程が物語になるとしているのは理屈での理解は出来ても感覚的な共感は出来ない私からすると、押井が紡ぐ「他者」と「自己」、「存在確認」、「(社会も含む)共同体」と「コミニュケーション」、ってのにしてもどこかで充足しているからこそのもの、っと思わなくもなくて、まぁそういう部分が鼻につくっかあれほどの饒舌さで韜晦してみせようともなんかノれんのだよなぁ… とかね。
 
 そこらの匙加減ってのですかね、自覚的ではなかったからこそ失敗した本作が、だからこそ好ましく思うってのは厭らしい話かもしれませんが、表現者として正直であるのは解っているからこそ余計にその匙加減が疎ましく感じるんですけど、ってね…