報道。

 
 ジャーナリズムもジャーナリストも死んだ、っと言われて10年くらいになるが「じゃぁそれまでは生きていたのか?」ってなると「はて?」って気がしなくもなし。広告主の為、お国の為、思想の為、中国の為、教祖様の為、とか色々な立場や目的での報道はあるがやれ社会の為、市井の人々の為、ってのは所詮建前に過ぎなかった歴史があって… まぁその史観も色々あるんだけどさ。
 
 結局、あれこれと報道はなされるものの結局はネットで流れる噂以上の事実も真実も出て来ないのは報道も商売である以上越えられない一線、秘匿しておかねばならないモノってのはどうしたってある。誰だって霞じゃなくて飯を食っていかねばならないのに自らの食い扶持を無くす真似なぞするワケもなく、餌をくれる飼い主の手を咬めば野良となるか処分されるか、だよなぁ… そう、墓場まで持って行けなきゃぁ墓に入れられる事だって珍しくないもんなぁ… とか思っていた時に

 
 問題は、彼らがどういう動機でそのような言動を進めるのか、にある。熟慮した結果、己(または自媒体)の価値観と照らし合わせて、当事者に対して批判的な態度を取るのはまったく構わない。だが、延焼して欲しくない先が親密な人間を通じてカネを流し世論を味方につけようという方法はあまり関心しない。
 
切込隊長BLOG(ブログ)〜俺様キングダム〜 検察批判に対する考察より
 

 を読んでモヤついてたのが少しスッキリする。
 
 関係者でも当事者でもない以上は所詮、野次馬。
アレコレと言い募っても仕方ないし、評論家やアルファ気取りなんてのは妄想電波君と何も変わらないし、業界通気取りをしてみせても噴飯モノにしかならないし、第一みっともない。粛々と。ただ、側面や背景や背後の物語や図面への意識は忘れず。