雑記。

 

 
 ・「中学生はこれを読め」 書店主が推薦リスト、全国波及
 http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060506/K2006050600740.html
 

 商売としていかにリピーターを確立するか、という点では1つのアイディアとして評価はしたいのだが、揚げられているリストが左巻き臭いのが散見出来る以前に傾向も目的もオススメもよく解らんリストが乱暴なのが気に入らない。
 
 手塚治虫火の鳥」ってどのエピソードを? 全部って?
 
 乙武洋匡五体不満足」は文庫版、だよね?
 
 中原中也中原中也詩集」って…
 
 っとか、
まぁ色々あるんですけどね、例えば橋本治の『桃尻語訳 枕草子』ってよくリストアップしてるもんだと。『桃尻娘』があって、その続編とかがやってきた文学的な連なりがあったその一環の一部でもあり食み出した輪でもありつつ、まして歌舞伎をはじめとする日本の古典に限らず様々な情報と知識を織り込んだもので、しかも橋本治の解釈版ってのですよ? そりゃまぁ語り口は解りやすいかもしれんが、参考文献やバックボーンの事を考えると空恐ろしいブツなのに… とか、理解に蓄積が必要なモノってかなりこのリストに含まれているんですが、それだけのモノをススメた責任ってのかな、覚悟みたいなのがあるの? って疑問に思えるのは

 
 中学生は本屋に来ない。だから中学生用のコーナーがない。久住さんは、その発想を逆転させた。顔見知りの常連も出てきた。それ以上に大人が関心を示した。リストを手にした親や教師から、「お薦めは」と聞かれる。子どもの読書量や性別を聞き、「じゃあ、これとこれ」と選ぶ。
 

 ってくだりで、記事では凄い美談のように書いているんですが、私にはコレ、凄く気持ち悪いっか感じ悪いんですよ。逆にコレが無かったらこの雑記は書いてないんですがそれは…
 
 本好きに限らず、何かのジャンル好きを公言してる人なら一度はあると思うんだけど
「何でもいいから面白いの教えてよ」
 って質問に閉口した事ってありません?
「何でもって… 要するにお前が面白いって思うモノを私が人格分析して選ばなきゃならんのか?」
 って私は大抵断ってますが、こんな面倒なもん無いじゃないですか。余程付き合いが深くて好みや嗜好が解るのならばまぁいくつかのセレクトが出来る場合もあるかもしれない… って程度の私からすれば、質問者が当人ですらないってのでのセレクトって私はよぉ出来ませんっての。
 大体、何故それをオススメ出来るのかという理解・含蓄も、その本そのものすらも人任せにしてるなんてダセぇよな… そもそも人にオススメ出来るだけの本の持ち合わせの無い、そしてまずその本でオススメしようとする相手と対話する気が無いんだったら本を薦める事なんてしなきゃいいのに。なんかこぅ、少年犯罪で
「親が悪い」
「学校が悪い」
「教育が悪い」
「社会が悪い」
 って責任転換しあってるのと大差ねぇじゃん、っと。
 
 私が子供の頃から本を読むヤツは呼んでいたし、読まないヤツは読まないもんだったが、それは素養も適性の上での話だと思ってたんよね。あくまでもただそれだけの事で、本を読んでるから偉いだ読んでないから駄目だという事自体が間違いっかウゼェと思ってて、本を読んでなくったってマンガや映画や舞台や音楽やゲームやら、その人にとっての娯楽という快楽があるのならばそれでいいじゃないんですか? って思ってるんですよ私。勿論、本ならではの、本だからこそ、ってものは確かにあるけれど、それが合うか合わないかは人それぞれでしょうに。
 逆に、前やってた日記サイトにいた「オレは本を一杯読んでいるから偉い!」って実社会上の実績も何も無いのに思い上がってて、勝手に理解もしてねぇコピペのツギハギ長文には論理も何もかも破綻しまくってて一貫性のカケラも無いのにも気がつかないで得々としてて、指摘されりゃぁ逆ギレして… なんて知ったか馬鹿みたいなのを増やしたってしょうがねぇだろうに…
 
 ページをめくる快楽、読み進める興奮、本を閉じた時の満足、それは自らが掴むものであって決して与えられるものなんかじゃぁない。本屋は昔に比べれば減ったが、図書館や図書室はあるんだから、本そのものは決して遠いものではないのに手にしてないってだけの話でしょ? 本を読もうとする当人が必要とする情報はネットにある現在、それを自ら検索しない人間に、問うだけの相手&それについて語ってくれる相手もいない人間に、リストからのセレクトなんてのはあんま意味ねぇんじゃぁねぇのかね… 目的も方向性も無い、乱雑な、そんな「大人」が「子ども」の為に選んだリストからも快楽を得られる人がいるかもしれんが… 何んせよ、私とて全部読んでるワケでもねぇし… これが出会いのキッカケになるって事もあるかもしれんから全否定する気はねぇけどさ、でも、与えられたリストからは所詮それだけのものしか得られないって思ってしまうんですけどね、私は。
 
 出版不況は単純に言えば、学校教育のせいでもなければ本屋のせいでもない、出版社のせいなんですよな。日販制度における大都市優遇の配本、コンビニ対応の為の拙速な文庫化と廃版、オッサン連中にウケりゃぁいいと小娘に受賞させて話題作りの文学賞の乱立、ちょっと前まではエンターテイメントで今はライトノベルに見られる乱発と作家の使い捨て、ってな焼畑ビジネスをず〜っとしてきた事の結果が現状、であって、本が読まれなくなってるワケじゃぁない。ブックオフとか新古書店が全部マンガやゲームやらだけじゃぁないように売れてはいるんだけど質もバラバラな商品がロクな宣伝も営業もなされぬまま過剰に供給が続いているからって情況が何とかならん限りどうしょうもねぇって思うんですけどね… そんな出版業界が作ったクズの大海の中から自らの快楽になるものを掴む為の道標は己の意志と情熱であって、どこかの誰かがただ選んだ・用意したリストはメルカトル図法の世界地図よりもアテにならないんじゃぁないのかなぁ… って思うんですけどね… まだ地図すらも知らない人にはその意味では有用なのかもしれないけれど… 地図は自らが確かめ書き込む事でしか己の地図にはならないでしょ? 自らが行こうという興味も無い者にただ地図を与えたってなぁ… まして、それが自分という個と向き合ってすらいないものを、だよ? それで「大人」は満足するかもしれんけど、それが一体なんなのさ。「大人」のエゴやコンプレックスやロマン(笑)やらを押し付けたってしょうがねぇし第一ウゼェよ。そんなんよりも
「コレ、面白いぜ! 読んでみなよ!」
 って向き合って言えるだけの本を、そう言えるだけの内面を、相手を、矜持なり覚悟なり姿勢なりをまず「大人」が持つべきなんじゃぁないんでしょうかね… っと。
 
 手前ぇがよく解らなかったり読んでないモノを薦められるのなんて最悪だね。
 ましてその根拠がよく解らん基準でセレクトされたリストだったら最低だね。